いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

メモ(次の帰省、ご馳走様、丁寧に。)

食べる?と差し出された唐揚げを貰うことにした。囓りかけならもらわないが、食べかけなら貰える。6個のうちの1個なら何も問題はない。

 

ラーメン食べる?だった場合、小さいお碗に取り分けてくれるなら食べられる。えっ、食べかけを?と思うけれど、食べられなくはない。

しかし丼ごと差し出された場合、これは食べられない。これを食べるかどうかで、財産分与における僕の立ち位置が変わるのならば食べられるけど、そうでないなら、ちょっとご勘弁。

 

親しき仲にも礼儀あり、親子といえど気をつかうべし。奢る側にもモラルありけり。

 

父の奢りだけれども、食べかけのラーメンを丼ごと渡されるのはきつい。

実際は6個ある唐揚げのうち、1つを貰うだけだったからなんの問題もなかった。ラーメンの話は一体なんなのか?

 

どこから出てきた話なのか?

その金はどこから出てきたものなのか?

 

違法ではないって言うならどこから出てきた金か言えるはずですよね。

言えないっていうのはやましい事があるからではないのですか?

出どころは言えないけど違法ではないって言い分で国民が納得すると思っているんですか?

あなたたちの給料は税金で賄われているのですよ。

鞄に全部入っても納得しませんよ!

 

父からもらった唐揚げ二つと自分の注文した分の全てを胃袋に入れる。手を合わせ、ご馳走様を言う。納得のいく晩飯となった。

 

二つ目の唐揚げを差し出されたとき、唐揚げをくれたのは気遣いじゃなくて食が細くなったのだろうか、と考えてしまった。

食が細くなっていてもいいし、ありったけの気遣いでもいいけれど、こういうふとした瞬間に父の生活もずっと続いて来たことを実感する。僕の知らないところで、僕と同じだけの時間をすごしてきたのだ。

 

例年通りだと食事中の会話は全くない。注文をした料理が提供されるまでの時間はなんとか会話を探そうとするが、提供された後は終始無言。実家で食べる食事の無言は全く気まずくないが、外食の際の無言はとても気まずい。

 

5年ほど前、地元では有名な外食チェーンに両親と行った(そういえば3人で外食をしたのはあの時が最後だ)。

 

人気店のランチタイムだったので待ち時間が長かった。席に案内されるまで30分、注文から提供まで20分。それくらいの待ち時間だった。

 

待つことは仕方がないし、混み具合を見ていれば文句など全くない。料理を一刻も早く提供してもらいたかったのは、会話のない気まずさに耐えきれないからだ。

 

母、父、僕。3人いて3人口を開かない。誰もが突破口を探しながら、誰一人として一歩を踏み出せない。

切り開いた人が盛り上げ役も引き受けるのは目に見えていた。俺の後に続け、と飛び出た特攻隊が、後は任せたぞ…と力つきることを許されない。そういう状況。

 

隣のテーブル席の家族連れ、向かいのサラリーマンのグループ。無言のまま、どこを見たらいいのかすら定まらない我らが3人。

不仲ではないんですよ。心の中で周囲にアピールをしていた。なにを喋ったらいいのかわからないだけなんですよ。

 

大学を卒業して1年ちょいの頃だったから(就職できなかったくせに、地元に帰ってこないし将来のことをなにも話さない状況)すごく難しかったと思う。両親はもちろん、僕自身ですら自分の扱い方をわからないままでいた。

 

成人した息子との会話なんてものは、仕事はどうなの?を入り口にしなければどこにも進んでいくことができない。お金のことも人間関係のことも将来のことも、仕事はどう?からしか始まらない。

昔々あるところに…からしか桃太郎も浦島太郎も話を始められないのと同じだ。

 

あの頃に比べれば今は随分と扱いやすくなり、少ないなりに会話が発生するようになった。料理が提供されるまでの時間をつなぐくらいはできるようになった。

しかも今年は、有難いことに話の種があった。

 

スルガ銀行の不祥事について父の考えを聞く。銀行員だった父は、水を得た魚とまではいかないが、やっと水面から顔を出せたカナヅチのように息を吹き返した。

肝心の父の見解は一切覚えていないが、スルガ銀行は昔からリスクの高い商売をしていたことはわかった。銀行からお金を借りられなかった人(地銀だと静岡銀行か?)とカードローンを利用する個人を相手にしていたらしい。これがローリスクでないことくらいは僕でもわかる。

 

翌日の新聞にもスルガ銀行の記事は載っていたて、パワハラについて書いてあった。ノルマを達成できなかった部下に対して、「ビルから飛び降りろ」や「お前の家族を皆殺しにしてやる」などと恫喝をしたらしい。

この記事を見た母が、本当にここまでのことを言うの?と父に聞いた。

 

皆殺しにしてやる、はさすがに無いと思うけど、ビルから飛び降りろ、くらいは言うかもね。

 

父の言葉を聞いてぞわぞわっとした。

家族を養うために、40年もの間そういう世界で働いてきたのか…。

 

スルガ銀行と父の働いていた銀行は当然違う。でも、ノルマが達成できなかった時に「ビルから飛び降りろ」と言われても不思議ではない場所だった点については同様なのだろう。

 

僕が実家で暮らしていた18年間は、そのまま父と暮らした18年間でもある。18年間同じ時間を過ごしてきたと思っていたけれど、そうではなかったようだ。

考えてみれば、1日の大半に父の姿はない。朝の30分、帰宅後の1〜2時間がいいところ。睡眠時間を含めて考えても、父のいない時間が14時間、15時間。

 

18年のうち、僕と関わりを持たない時間の方が長かった。そのことに初めて気がついた。

父は僕のいない時間をより多く生きていた。どうやらとても厳しい世界に身を置いて。

 

今度帰省した時は、もう少し丁寧にご馳走様を言おう。奢るのは父のままだが、それはまぁ、ご愛嬌ってことで。