いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

痺れる展開

2013年4月2日。

朝の8時だったか、9時だったか。僕はツイッターを見ていてダルビッシュ投手が完全試合間近であることを知った。


メジャー2年目の初登板のこの日、8回まで1人の出塁も許さない投球をしていた。
僕はこのタイミングで情報に触れた。

 

ダルビッシュ投手が9回のマウンドに上がる前に知らせようと思った。僕は小学3年の時から中学卒業まで野球をやっていたし、大学の同級生には野球好きが何人かいた。これは知らせてあげなくてはいけない、と思った。

 

使命感というか、義務感というか、自分よりもこの瞬間の目撃者になるにふさわしい人物がいるはずだと強く思った。

 

幸い僕は出勤中でも仕事中でもなく、時間に追われていなかった。大学を卒業して2年目の春、僕はすっかりフリーターとしての生活を確立していた。

 

普通の社会人になれていたら、この時間に連絡をしても中継を見ることができないと気がついていただろう。
スマホを見る余裕なんてないかもしれない。そこに全く思い当たっていなかった。

 

当時の僕にはまだ友達の影があったから、誰に連絡をしようかな、と真剣に考えながらアドレス帳を開いた。

当時はまだ、連絡先の消去をしていなかったので、登録件数は120件くらい。今は身内を含めても30件くらいしか登録されていない。

この内の何人と連絡が取れるのかはわからない。残してあるだけで、連絡がつく保証はない。

 

同級生がどれくらいの数の連絡先を登録しているのかを知らない。知ろうとしない。鳴らないスマホの所有者である自分自身が傷つかないように。

 

登録してある120件のアドレスから、バイト先、身内、1回も連絡をしたことのない人、これらのアドレスを差し引くと、50件残るかどうか。
そこからさらに、連絡が取れるかわからない人を差し引くと、30件残るかどうか。

 

小学1年生のぼくに教えてあげたくない事実。友達100人は無理だ。連絡先を交換しただけの人は友達ではないよ。連絡先を交換しただけの人だよ。

 

少ないけれど、ダルビッシュが完全試合するかもしれないよ、と教えて喜ぶのも、教えてあげたいのも、どっちみち残った30人の中だ。


表面的な分母は小さくなったけれど、実質の分母はそもそもが30程度だったわけで、そういう意味では悲しくもないし、泣きそうでもない。

ハンカチを持っている人がいたら貸して欲しい。ちゃんと洗って返すから。

 

連絡先を50音順に見ていく。

 

少年野球を一緒にやっていたこいつは教えたら喜ぶんじゃないか?

でもな…。

 

大学の同級生のこいつは球場まで足を運ぶタイプだったし、教える価値はあるぞ。

でもな…。

 

高校の野球部のキャプテンだったし、今でも草野球やってるみたいだし、でもな…。

 

連日甲子園の観戦に行ってラガーさん(名物のラガーシャツのおじさん)と仲良くなっていたくらいの野球好き…。

 

あ、から見始めて、わ、まで見終わって、スマホの画面表示を消した。腕組みをして天を仰ぐ。黄ばんだ壁紙の低い天井が目に入った。

 

誰もいない。

教える相手が1人もいない。

 

教えたら喜びそうな人は何人かいた。間違いなくいた。見当外れではない。
ただ、この情報を教えるような関係性かと考えたら、それは違うと思った。

 

仲良くしていた。冗談を言い合える関係だった。そこに疑いはない。
だけど、この日・この情報を教えるような関係ではないと思った。


そういう距離にいないよな、と思った。

 

大学を卒業して2年目の春の出来事だった。1年間連絡を取っていなかったから気まずいとか恥ずかしいとか、そういうのではなかった。
中学とか高校とかの同級生に対して感じることと大学の同級生に対して感じることは同じだった。

 

そういう距離じゃない。


何年合ってないとか何年連絡を取ってないとか関係なく、これ。そういう距離に誰もいないことを知ってしまった。

 

ダルビッシュ投手が27人目の打者にヒットを打たれ、完全試合の達成を逃した。

 

ショックや落胆を感じることができないほどに、どこかが痺れてしまっていた。