いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

横断歩道を渡らせて

誰も止まってくれない。

スピードを緩めてくれない。

でも通り過ぎる時にこちらの顔を見てくる。

そういう運転手は多い。

とても多い。

 

完全無視は腹たつけれど、ちゃんとこちらの顔を見たうえで止まらないのはもっと腹が立つ。

 

僕の住むアパートの近くにある横断歩道は、信号機がない。それなりに交通量の多い道路だけど、ない。

 

車が止まってくれると安心して渡れるのだけど、止まってもらえない。待てど暮らせど止まらない。

しまいにはもう、 待っている自分が間違っているような気がしてくる。定食屋で、注文を取りに来てくれるのを待っているときの、あっ、この店食券だったのか、の感覚。

 

車と自分との距離を確認する。

渡りきれないかもしれない、車が僕の体に接触するかもしれない、という微妙なタイミングなら渡る。その距離感なら渡る。勇気を出して一歩踏み出す。

 

一歩踏み出すことが重要なのだ。うだうだうじうじ悩んでいても状況は何も変わらない。

食べログをずっと見ているなら、一回食べに行けばいい。レビューの信憑性よりも自分の口に合うかどうかの方が重要だ。

 

渡り始めてみるしかない。 一歩踏み出してみるしかない。 信号機が設置されていない横断歩道は、渡り始めてみるしかないのだ。車は止まってくんねぇから。

 

クラクションを鳴らす気性の荒い運転手がいたら小走りになるけど、信号機がなくたって渡れるは渡れる。

 

でも、お年寄りが一歩踏み出す瞬間を見ると、信号機を設置してほしくなる。ボタンを押した時だけ反応する信号機でいいから設置して欲しくなる。

 

渡りきるのは横断歩道か、三途の川か。

 

そんなタイミングで一歩踏み出すばばあを見ると、渡りきるまでを見届けられない。こっちの寿命が縮む。

ブレーキ音、衝突音、悲鳴。

この三重奏が鳴り響かない事だけを願う。

 

ばばあが待っていて止まらないなら、自分の脚力に自信がなくてもばばあは一歩踏み出す。そうするしかない。しょうがないじゃないか。

 

相手を見て態度変えてよね。若者が待っている時に止まらないのですら本当は駄目だけど、せめてお年寄りが待っているときは車から止まってあげてよね。見えていないっていうなら免許証返納してよ。

 

じじい、ばばあでもクズはクズ。僕はそう思って生きている。 尊敬できないお年寄りに出会ったことは何度もある。

 

何十年かしたら自分もじじいになる。ただそれだけで尊敬に値する人間になっているかといえば、答えはノーだ。

 

んなわけない。

長生きしたことと人間性は比例しない。

 

でもさ、とはいえこれはさ、ってことはある。

とはいえこの交通量だと、このお年寄りの脚力じゃあ、渡るタイミングないよな。

そのくらいの気遣いはあってもいい。

 

単純に見たくないし。

渡りきるのが三途の川のパターンは見たくない。 そんなエンディングは幻のままでいい。

 

運転手が渡りきらせるのは横断歩道。ばばあが渡りきるのも横断歩道。

そうなればいいな。そうなればいい。

 

ばばあも気分良く横断歩道を渡れるよ。白いとこだけ踏んで渡れる。

 

そうやりながらのんびり渡っていたら、さすがにクラクション鳴らしていいけどね。遊び心とかいいからさっさと渡りきれよ、って。