いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

カリフォルニアロール的なお菓子が渡せない

何を買うかいつも迷う。何を買って帰ったら喜んでもらえるのか全くわからない。

帰省の時のお土産は一体何を選んだら正解なのだろうか?

 

小田急百貨店、京王百貨店、高島屋、伊勢丹。

とりあえず新宿に出て、とりあえずデパ地下に行く。

甘いものがいいかな、しょっぱいものがいいかな。和菓子がいいかな、洋菓子がいいかな。煎餅やあられ、ってのはどうだ?

 

正直言えば、毎回同じものでもいいと思っている。毎回同じものをネット通販で買って、配送先を自宅にすればいいとすら思っている。

どうせ年に2回しか帰省しないのだ。

年に2回だけ食べるお土産が前回と同じかどうかで文句を言われる筋合いはない。1日に3回米食って味噌汁飲んでる人達に、そんなことを言われたくない。

「なんだ、この前と同じやつじゃん。」

なるべく違うものを買おうとするのは、自分がそう思うからだ。

 

前回の帰省のときは何を買ったっけ?

夏だったから、餡蜜か葛餅?それとも日持ち重視で煎餅?

 

「わからない」ということの中には、「わかること」「わからないこと」の両方がある。

昨日の夜何を食べたのかを思い出せなくても、フカヒレの姿煮を食べていないことはわかる。買い置きしていたレトルトカレーは、うーん…どうだろう(なんて絶妙な)、これはわからない。

 

わかるのは、お茶が欲しくなるタイプの和菓子ではなかったこと。前回の帰省ではどら焼きや最中を買っていない。

 

和菓子のテナントを行ったり来たりして候補を選ぶ。

何を買って帰ったら喜んでもらえるだろうか。

相手の好みがわからなくていつも迷うのに、自分の好みで候補を選んでしまう。矛盾していることは百も承知。なんだそれ、と自分で自分にツッコミたくなる。

 

「紹介するね、こちら、佐伯さん。4年前に父を絞殺して山に埋めた人。」

「素敵な方ですね、品があって育ちの良さを感じます。」親の仇を紹介した時に、相手にこう言われたら腹が立つ。

例えが極端だけど、気持ちはこれと同じ。好きでもないものを渡して喜ばれるのが嫌なのだ。選ぶ以上は、喜んでもらえたときに自分が嬉しくなるものを渡したい。

 

買う店を決めてショーケースを眺める。見本の詰め合わせを眺めて悩む。最中が含まれる詰め合わせにしっくりとくるものがない。

決め切れず難しい顔をしていると、店員さんが試食をくれた。

なんて言えば伝わるだろうか。餅を餡子で包んだお菓子。カリフォルニアロール的な、シャリが中で具が外の感じ。

 

全然候補に入っていなかったが、カリフォルニアロール的なお菓子はすごく美味しかった。私も居ますよー、と控えめに脇を締めて小さく手を振る柚子が良いアクセントになっている。

せっかく出してくれた昆布茶を一口で切り上げ(苦手な味だった)、カリフォルニアロール(的な構造の和菓子)のセットを購入させてもらった。

詰め合わせではなく、セットを選んだ。偶然の出会いに高揚していたのだと気がついたのは、少し後のことだった。

 

丁寧に包装をしている様子を見ながら、どれくらい見て良いのだろうか、と悩む。

包装の様子に無関心でも失礼な気がするが(せっかくやってくれているのに)、じろじろ見るのも失礼な気がする。急かしているように思われたくはない一方で、雑に剥がすでしょうから適当でいいですよ、とも思う。

中途半端なチラ見になり気持ちが悪い。自分の中での収まりすら悪いいつものパターン。

 

「あっ、餅…」会計を済ませてから気が付き、焦る。

婆さんは食べられるだろうか?

米寿のお祝いをしたのは何年前だ?

 

90…〇〇歳。3桁目前とはいえレディの歳は間違い厳禁。

迂闊に「93だっけ?」と聞いて92だったときにはもう遅い。

いくら謝ったって、いくら89に見えるとおべっかを使ったって挽回不可能。かわいい孫ランキング最下位転落(そもそも最下位の可能性は考えないこととする)。

 

とどめを刺すことになったら嫌だな、と思った。

冗談なのか本気なのか自分でもよくわからないが、なくはない。いくら健康でも飲み込む力は弱くなっているはずだ。ダイソンの掃除機だって90年稼働していればさすがに(全然関係ない)。

ここまできたらフィニッシュテープは大往生で切ってもらいたい。沿道から飛び出して邪魔をするような真似はしたくない(アテネ五輪・男子マラソン)。

 

詰め合わせではなくセットを選んだ先ほどの判断が悔やまれる。

他の店に行き、喉に詰まる可能性のないお菓子を買うことにした。出費はかさむがそこは問題ではない。

喜んでもらえたときに自分が嬉しくなるものを渡したいのだ。