いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

ニッキはどこで消えた

両親から京都土産の生八ツ橋が届いた。たぶんものすごくオーソドックスなやつ。ニッキの生八ツ橋。

最後に生八ツ橋を食べたのはいつだろう。

 

簡単に思い出せそうなものだが、これがなかなか上手くいかない。最終的に中学3年の修学旅行の時だと結論付けたのだが、手前にいくつも「あの時食べたような…」という思い出が見つかった。

それもそのはずだ。この国は、生八ツ橋みたいな餅(みたいな生地)と餡を組み合わせた美味しいやつに自然と出会ってしまうように出来ている。どこかしら国内旅行に行ったじじいとばばあは、もれなく餅と餡を組み合わせた美味しいやつを買ってくるのだ。

 

 

修学旅行以外の思い出が生八ツ橋ではないとわかったのは、その思い出にニッキを感じなかったからだ。餅と餡を思い出せてニッキが思い出せないということはまずないだろう。

「すごく綺麗な方で…えぇ。切れ長の一重瞼で…、あ、右の目尻に小さめの黒子がありました。他ですか?いえ、他には特徴らしいものはなにも。左肩…ですか?すみません、戸愚呂兄弟のお兄さんが乗っていたかどうかは覚えていません。」

見落としたくてもさすがにそれは無理、というのが左肩における戸愚呂兄であり生八ツ橋におけるニッキなのだ。

 

 

「ニッキが入っている生八ツ橋は美味しくない」修学旅行中に複数の同級生から聞いた出典不明の怪情報。

「京都=生八ツ橋」以上の情報を持ち合わせていなかった僕は、この情報が絶対に正しいものだと思い込んでいた。周りに異論を唱える者は1人もいなかった。

 

僕を含め、一緒に行動をしていた5~6人の同級生は、お土産に買う生八ツ橋の条件に「ニッキが入っていないこと」を加えてしまった。

修学旅行生の中で僕たち以上に生八ツ橋を買うことに苦労した人はいないかもしれない。京都で生八ツ橋の選択肢を少ないと感じた修学旅行生はそうそういないだろう。

あるにはあるけど、そんなにない。

ニッキの入っていない生八ツ橋に限定すると、さすがの京都でも、あんまり栄えていないパーキングエリアでお見上げを選ぶ時のようなもやもやがついて回る。

 

誰が言い出したんだろう。「ニッキ入っていないほうがいいよね」とみんなで同調していたけれど、今思えばみんなで出典不明の怪情報を鵜呑みにしていただけのような気もする。

「お母さんがそう言ってた」「じいちゃんにそう言われた」そんな各家庭のエピソードは皆無だったような。

 

 

 

修学旅行から帰ってきた僕は家族に対して説明をした。「ニッキなし」の生八ツ橋を買ってきたことを、見つけるのに苦労したことを。

エアジョーダンの限定モデルを買ってきたみたいなテンションで胸を張る僕に対して母は一言。「えー、ニッキ入ってるほうが美味しいじゃん」

 

当時14歳のいわにし少年は思い返す。

 

料理を作る姿、片付けをする姿。

洗濯をする姿、掃除機をかける姿。

夕方にうとうととする横顔。

何度あの小児科に連れて行ってもらっただろうか。どれだけ長い時間を隣に寄り添っていてくれただろうか。

 

デリカシーのない人だろうか?

思ったことをなんでも口にしてしまう人だろうか?

サンタなんていないよ、と平気で子供に言いのける人だろうか?

 

29歳、「箱」と感じる築30年の六畳一間の片隅の、何をするにも使っている机の上で両親から送られてきた京都土産の生八ツ橋を食べている。

うん、うまい。

お土産にはニッキが入っている生八ツ橋を買うのが普通だと、今の僕は知っている。