いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

根元の流儀

「なんで坊主なの?」

大学入学以降、聞かれる回数が増えた。

新しく知り合う人たちから必ず出てくるこの質問に僕は「楽だから」と答え続けてきた。嘘ではないし、納得してもらうのに丁度いい理由でもあるし。

他の髪型を選べる長さになるまでの期間を耐えれれない…云々かんぬん。

ちゃんと教えてもらいたい人はどこにもいない。本当に興味がある人なんかこの世にいないと知っている。これは会話の糸口なのだ。

「今日は一段と寒いですね」と同じ使われ方。「袖になんかついているよ、ご飯粒じゃない?」とも同じ使われ方。

 

坊主の中にも色々と種類はあるが、僕の坊主はアレンジを加えたオシャレ坊主の部類ではない。ノーアレンジの有機栽培坊主だ。バリカンの6ミリのアタッチメントで刈りそろえている。

 

初坊主は中学3年の時、最後の大会に向けて気合い入れてみんなで坊主にしようぜ、チームの中心選手の一声がきっかけ。

チームの中心にいる選手が気合いの入れ方として選んだ行動が、丸刈り。どの程度の強さだったかはお察しの通りだ。

 

坊主が当たり前のように周りに存在しているのは高校までだった。大学進学以降、坊主は珍しいものとして扱われるようになる。

運動部ではなさそうだし、ファッションでもなさそうだし、うーん…。

僕を見る目に少し疑問が混ざる。選択肢としてないわけじゃないけど、でも普通は選ばないよね、と。

5月の急に冷えた日にダウンジャケットを着ている人を見たときの「えっ、なんで?」感。これにとても近い。

 

世界から坊主が消えていく。

群れを離れて初めてわかる、同胞少なき絶滅危惧種。

ニホンオオカミ、イリオモテヤマネコ、有機栽培坊主。

ニホンオオカミが同じ場所に2匹いたら…。1匹でも珍しいものが2匹並ぶと、好奇の目はギラつきを増していく。

 

同じ車両、エスカレーターの前後、隣のテーブル。街中で突然に訪れる同胞との横並び。

市営バスの行き先表示のように周囲の目が「好」と「奇」に変わる。こちらから見て好奇になるように右目が「好」で左目が「奇」だ。

 

並ぶだけで恥ずかしい期間を乗り越え(?)、並ぶと僕だけ恥ずかしい期間に突入してしまった。

 

バイト先で会計トラブルや落し物の問い合わせを受け、防犯カメラをチェックする機会が訪れる。

不意に、ふいに。

そいつは不意にやってくる。

「あ、これ、お客さんの勘違いだわ。1万円出したって言ってるけど映っているの5千円。」

問題解決の為にチェックした防犯カメラには、あらゆる真実が映し出される。お客さんの勘違いも、自分の勘違いも。

 

防犯カメラに映る自分は、自己評価以上にコントラストがはっきりとしていた。

光の加減でないことを認めざるを得ない。たまたまそう見える光の入り方だと思い込むにはかなりの無理があった。

薄い部分・濃い部分の特徴を完全に捉えていたのだ。明暗のつき方が、よく見る禿頭のそれだった。

 

駅の階段やエスカレーターで坊主が前後に並んだとき、僕はとても恥ずかしい気持ちになる。

下の時には特に。

上から見下ろされるとその違いは顕著になる。

好奇の目を向けられる恥ずかしさに、密度の違いに気づかれる恥ずかしさが加わった。

 

自覚することで加速する。

できる限りの抵抗をして闘う人と、あっという間に弱ってしまう人がいる。

僕は完全に後者の人間だ。

「なんか体だるいな、おでこ熱いし熱あるかもな」の状態の時には踏ん張ることができるけれど、体温計の小窓が「39.1」を表示させたら途端に踏ん張ることができなくなる。

わからないうちは踏ん張れていたものでも、わかった途端に踏ん張れなくなってしまう。

自分の認識以上に禿げていることに気がついて以来、どうやら進行が速くなっている。

 

週末の帰省のタイミングで半年ぶりに会った伯父が開口一番「ずいぶんと薄くなったじゃない、何をそんなに苦労してるの?」と声をかけてきた。

お前もな、とは言わない。薄毛度合いを年齢で割って算出する「一年あたりの禿げ進行指数」で分が悪いのは完全に僕の方だ。

good by hair / year  → gbh/y

軽い口調には軽い口調で返す。

「これは親を越えようという意志の表れ」

毛根はあっという間に弱ってしまったが、できる限りの抵抗(ある意味)をして闘っていくのだ。

 

毛先で遊べない分、人一倍根元で遊ぶのが私の流儀。

どこからかスガシカオの「progress」が聞こえてきませんか?