いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

向田ちづえの願望

はい、次の方お名前どうぞ。

「向田(むかいだ)ちづえ」さん、ですね。

あー、向田邦子さんの向田と漢字は同じで読み方が違う、と。なるほど、たしかに初見だと「むこうだ」と読んでしまいそうですよね。

 

えー、向田ちづえさん、年齢を伺ってもよろしいですか?

 

…93歳。

本当ですか?もっとお若く見えますけど。

じゃあいくつに見えますか、って…うーんそうだなぁ、89くらいですか?

ちょっ、むすっとするのやめてくださいよ。93って知った上で若く言うのすごく難しいんですよ。

それに、これってすごく当然の話なんですけど、「93に見えない」っていうのはもっと年下に見えるってことじゃなくて「93歳」として「そうは見えない」ってことなんですよ。

「えー、こんなにしっかりしててまだ5歳なの?うちの孫なんて…」と同じです。

「5歳」として、「まだ」「こんなにしっかりしていて」ってことなんですよね。

 

ごめんなさい、質問に戻りますね。

これまでの演技の経験を教えてください。所属していた劇団やエキストラを除いて出演経験がありましたら合わせて教えてください。

 

…、…え?

本当ですか?

え、むかし演技畑にいて、やっぱりもう一花咲かせたいってことではないんですか?

なるほど…全くの未経験ということですね。

わかりました。

 

向田さんは今回のオーディション開催をどこで知りましたか?

 

お昼のトーク番組で今回の舞台の主演を務める若手俳優が告知をしていたのを見たんですね。

ちょうどお昼のその時間帯はやることがなくていつもテレビを見ているんですね。

なるほど…。

 

全くの未経験ということですが、演技に対する興味はいつからお持ちでしょうか?

はい。

はい。

はい…。

昨年の秋頃から急に…。

 

えーでは、今回この舞台にかける意気込みを教えて頂けますか?

舞台の上で死ねるなら本望。

…なるほど。演技に人生のすべてを捧げてきた役者のようだ。

あ、いえ…。

舞台の上で死ねるなら本望…と。なるほど。それくらいの強い意志で参加してくださるということですね。

 

もう少し質問をさせていただきます。

向田さんの家族構成を教えてください。

えぇ、えぇ、娘夫婦と孫が3人。旦那さんは…そうですよね、失礼しました。

娘さんたちとは同居ですか?

…えーと、まぁ、それぞれ事情はありますから無理にってことでもないんですけど、できれば答えていただきたい質問ではあります。

 

えぇ、えぇ。

今は別居している、と。

それは娘さん夫婦の仕事の都合でしょうか?転勤とか転職とか。

それもある、というと?

…なるほど。もともと折り合いが良くなかったところに娘婿の転職が重なって…。

 

お孫さんとは会えていますか?

別居してからは一度も?

それは寂しいですね。

そうですよね、同居していると毎日会えますから。お孫さんたちの仕事が忙しいとわかっていても寂しいものですよね。会いに来てほしい、と伝えるのも気を遣うとなかなかできないですし。

となると、現在はお一人で?

 

93歳で一人暮らしは相当大変ですよね。近所の方に頼りながら、って感じですか?

えぇ、えぇ。あぁ…別居については内緒にしたいので…。

まぁそうですよね、どうしたって理由を話さないといけなくなりますもんね。

 

一人暮らしはいつ頃から?

昨年の10月…。半年も…長いですねぇ。

あぁ、そうですよね。折り合いが良くなくても家に誰かがいてくれる、自分と関わりを持ってくれるというのは有り難いことですよね。

寂しいですよね。半年ですもんね。10月からずっと一人暮らし…ん?

確認ですけど、演技に対する興味をもったのはいつ頃でしたっけ?

はい、そうでしたよね。

今回の舞台にかける意気込みは?

うん、なるほど。

演技に興味を持ったのは秋頃で、舞台の上で死ねるなら本望…。

一応確認なんですけど、孤独死が嫌…ってことではないですよね?

もしものときに近くに誰かいてほしくてオーディションを受けようと思った、なんてことではないですよね?

…失礼しました。お話をしていて、もしかしたら…と思ってしまいました。

 

それでは演技審査に参ります。

「朝起こしに来た孫に発見される」シーンいきまーす。

3、2、1…アクション。

 

「お婆ちゃん、起きてー。

お婆ちゃん、もう朝だよ。

ねぇ、ねぇ、ねぇ、起きてってばー」

 

カット!

ちょっと向田さん、顔がにやけちゃってますよ。

そうそう、これこれ、この感じ。久しぶりのこの感じ、って喜びが隠せていないじゃないですか。

もう一度いきますよ。

3、2、1…アクション。

 

「お婆ちゃん、起きてー。

お婆ちゃん、もう朝だよ。

ねぇ、ねぇ、ねぇ、起きてってばー」

 

カット!

孫が起こしに来てくれたって全然嬉しくないですけどね、の顔をしたって駄目ですよ。

何が駄目なんですか?って、あのね向田さん、今あなたが演じるのは孫にデレデレしないお婆ちゃんの役じゃないんですよ。朝起こしに来た孫に発見されるお婆ちゃんの役ですよ。死んじゃってるんですよ。反応がないんですよ。

 

いいですか?次が最後ですよ。

オーディションに合格したいですよね?

舞台に立ちたいですよね?

舞台の上で死にたいですよね?

大勢の人に見守られながら死にたいですよね?

一人で死ぬのは嫌ですもんね?

 

それでは最後行きますよ。

3、2、1…アクション。

 

「お婆ちゃん、起きてー。

お婆ちゃん、もう朝だよ。

ねぇ、ねぇ、ねぇ、起きてってばー。

ねぇ、お婆ちゃん、お婆ちゃん、おば…」

 

カット!

マネージャー、子役の子はやく向田さんから離して。

AD、救急車!早く!

 

(暗転)

…はい、我々の舞台のオーディションに参加しているときに急に。

いくつか質問をしている中でご家族についてのお話を聞きまして、それでご近所の方に連絡先を教えていただき報告をさせていただきました。

出過ぎた真似かと思ったのですが、あ、いえ…我々の方は全然。

演技審査の途中だったのですが、はい、私もそう思います。とても穏やかな顔をされていると思います。

それでは我々の方はこのへんで。失礼します。

(めくっていた布をかけ直し、去り際に小声でつぶやく)

「向田さん、今回は不合格です。こんなに穏やかな表情をしていては合格させてあげられませんよ。」