いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

食べさせてあげたい誰かがいたら、料理するのだろうか?

自分のために作りたい食事がない。

 

大学を卒業してすぐの頃、この事実に気がついた。

 

一人暮らしを始めてすぐの頃は料理をすることが楽しかった。新鮮だった。

野菜炒めやカレーはもちろん、ハンバーグも作ったし、餃子も作った。

 

餃子の皮を閉じて作るうねうねの部分が綺麗にできたというだけで十分に満たされていた。 焼き上がりが上手くいかなくても、たとえ二度目は作らなくとも料理をする楽しさがそこにはあった。

 

一人暮らしの人間が料理をやめる理由は、片付けの面倒臭さだ。自分の料理の腕前がわかってくると、かけた手間暇を味が上回ってこないことに気がつく。

だから手間暇を惜しむ。

 

カレーや焼きそばがやたらと多くなる。 使用する調理器具が少なくて、炒めるか煮るかだけで完結する料理を好むようになる。

いや、それ以外の料理を避けるようになると言った方が正しい。

 

大学の4年間で僕も多分に漏れずそこまで到達した。なんなら大学1年の夏休みが明けた頃にはそうなっていた。

 

社会人になり金銭的な余裕が出来て、日々の仕事に忙殺をされるようになる。

自炊をせずに基本外食で済ます人は大体がこの道を通る。

僕は違う道を通って、偶然同じ場所に出た。

 

社会人になれず(正社員でないという意味において)金銭的な余裕はなく、親の援助で各種税金を納め、時間だけは大学生か隠居老人のように持て余しながら自炊をしない生活に辿り着いた。

もちろん三食全てを外食で済ますお金はないし、なんなら一食だとしても毎日外食をするお金はない。

 

米だけ炊いて、おかずはスーパーで買ってくる。もしくは菓子パンかカップ麺かカロリーメイトかという、独身男の3K生活。

 

部屋も3Kあればいいのに…。

 

現実は数字を2つ失ったうえにアルファベットはKからRへと姿を変えた。独居房だとしたらスイートルームの1R暮らし。

持て余すほどの数字は築年数だけ。

オーバー30。

 

自分のために作りたい飯なんて1つもないと気がついた。

気がついたら自炊が出来なくなった。

 

3K食生活の味気なさや虚しさは無視出来るものではないけれど、どうにも気が進まない。

 

思い返してみれば、専業主婦だった母の昼食は、弁当用に作ったおかずの残りか冷蔵庫の中の余り物だった。

 

そんなにお腹空いていないから。

捨てるのは勿体無いから。

 

そういう理由だろうと思っていたけれど、自分のために作ることが億劫だったんじゃないか、という気もする。

もちろん数時間後には子供や父のために食事を作るわけで、朝夜の料理以外は一切包丁を握りたくないと思っていたのかもしれない。

 

それ以外で握るとしたら、夫の浮気を見つけた時に、相手共々、、、。

女って怖い、包丁って怖い。

 

自分のために作る食事と、誰かのために作る食事って根本的に何か違うのかもしれない。

 

勿体無いからって理由だけで、自分の昼食を弁当用に作ったおかずの余り物だけで済ませるだろうか?

 

時間や提供人数によって、惜しむ手間暇・惜しまない手間暇はあるだろうけど、そういうだけのことだろうか?

 

自分のために料理をすることと、誰かのために料理をすることが同じだったら、僕がこれほどまでに自炊から遠ざかることはなかった気がする。

 

今の生活では自分以外に振る舞う相手がいない。誰かに振る舞うとなったら作りたくなるのだろうか?

 

どうなんだろう。いずれわかるのだろうか?