いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

レシートならあるんですけど。

ずーっと何を言われているのかわからなかった。最後に言われる「そういうことでいいですか?」だけはちゃんと聞き取れて、それだけはちゃんと拒み続けた。

おじさんは28円しか持っていない。要求する商品の金額からは500円以上の開きがあった。

 

日付が変わり、客足は止まった。10連休に突入したことの影響がもろに出ていた。僕がバイトをしている店の夜の常連はほとんどが仕事帰りのサラリーマンだ。

10連休になるやつなんてどこにいるんだよ。

そう思っていたが、10連休になる人(それに近い休みの数の人)は案外多いのかもしれない。

開店休業状態になったので片付けの作業を早めに行い、ボーッとしながら閉店時間を待つ。時給万歳!

 

片付けが終わり、集中力がすっかりなくなった頃、おじさんは店の中に入ってきた(古い形のスーツを着た60代)。この時、閉店まで40分の時間が残されていた。

レジに来たおじさんは何かを話しかけてきた。何かを話しかけてきているのはわかるのだが、単語の一つ一つがよく聞き取れない。ちょうどぼやけてメガネなしでは読めない大きさの文字のようで、字幕が欲しい、と思った。

空っぽになった集中力を急遽チャージしておじさんの話に耳を傾ける。やはり字幕なしでは何を話しているのかわからない。

洋画は字幕無しで見るのが格好いいと思っていた10代の頃のように、言葉ではない部分で補足をして理解をしようと試みる。

あの頃よりも僕はずいぶんと歳を重ねたし、なんと言ってもおじさんが喋っているのは日本語だ。英語よりは拾える単語が多い。

 

どうやら棚の上段にある商品が欲しいということはわかった(ほぼジェスチャーのおかげ)。脚立を持ってきてその商品をとってあげる。

おじさんはポケットに手を入れ、小銭を取り出した。くしゃくしゃのレシート、キーホルダーやストラップのついていない小さな鍵、そして10円2枚と5円1枚と1円3枚。

「さっき食べ物の支払いに使ったから#$%&%$#”$%&&%%…」

おじさんから僕に対してわかりやすく伝えようとする姿勢がなくなっていく。言い訳じみた話し方になるほどに、何を言われているのかわからなくなる。教科書英語で育ってきたからネイティブの聞き取りは苦手で、さらに訛りが混じったらもうお手上げ、みたいな感じだ。

唯一聞き取れた「さっき食べ物の支払いに使ったから」とポケットから取り出された28円とを結びつける。おじさんの所持金は28円で全てなのだろう。

「…#”$$&$#$#”$%’%、そういうことでよろしいですか?」聞き取れる単語が登場したところで急に運命の2択。

そういうこと、って?

 

「えっと、ごめんなさい、要求されていることがわからないので、もう一度いいですか?」

 

「あのね、これ」手の中の28円を見せられる。

「私あの、タクシーの運転手をしてまして、それであの、このへんは普段通らないんですね。休みは週に1日でして、来週ですと木曜日です。それで、まぁ、あの、先程言った形でよろしいですか?」

 

出来るなら最初からそうやってくれませんか?と文句を言いたくなる。それくらいの喋り方をしてくれれば字幕なしでもなんとか聞き取れるのに。

 

おじさんの要求が理解できた。要するに、「来週金を持ってくるから今日のところは払えないけど、いいね?」ということだった。

ごめんなさい、と明確に断る。取り置きのお願いならまだしも、初めて見た客からのツケ払いの要求は受け入れられない(常連でも不可だけど)。

この場で全額の支払いが出来ないと渡せないことを改めて伝えた。

「それはわかっているんですけどね」と返事をしたあとのおじさんとは今まで以上に噛み合わなくなった。

茶色くなった入社当時の証明写真(40年以上前のものらしい)を見せられ、カツラであることをカミングアウトされ、「”#%##$#$$#%%$$…」訛りの混じったネイティブで何かをたくさん喋りかけられる。

状況が全く見えなくなったところで決め台詞。「そういうことでよろしいですか?」

 

閉店の5分前になってもおじさんは全然帰ってくれないままだった。ほとんど会話が成り立たないまま35分が経過していた。

仕方がないので警察に連絡をする。「すみません、会話が成り立たないお客さんが店内にずっといて、全然帰ってくれないので連れ出してもらえますか。酔っているとかじゃなくて…」

15分ほどして店に警察の方が来てくれた。2人、3人4人…結局6人もの警察官が店の中に入ってきた。こんな要る?と思ったが、何も言わないし表情にも出さない。来てくれたのだから感謝、感謝だ。

 

警察の方がおじさんを囲む。

「どうしたの?」「何を買うつもりだったの?」「もうお店閉店の時間だから外出ないと。」

色々と話しかけて返事を聞きながらおじさんの理解力やコミュニケーション能力を探っていく。レジ前にいたおじさんを店の入り口まで連れて行き、身分確認や所持品のチェックを行う。

おじさんに対して「なにもこの店を選ばなくても良かったのに…」と思うのと同様に(もしかしたらそれ以上に)、警察の方に対して「なにもその場所を選ばなくても良かったのに…」と思った。聴取は入り口の前で行われた。

自動ドアは開閉を繰り返し、入店音が鳴り響く(6人もいたら1人くらい場所の変更を提案する人がいたっていいのに)。警察の方もおじさんの訛り混じりのネイティブは理解するのが難しかったらしく、結局20分近く断続的に入店音が鳴り続けた。

 

おじさんの聴取が進む中、1人の警察の方が僕に近づいてきた。その場にいた中で一番のベテランに見えた(たぶん50代)。

「名刺はないの?」そう聞かれた僕は「ちょっと確認してきます」と答え、店の事務所の中に入っていった。

ない。ない。ない。店長のデスクの上にも引き出しの中にもパソコン周りにもそれらしきものはない。警察の方に渡せるような名刺も名刺らしきものも見当たらなかった。

「ちょっと無さそうですね」売り場に戻り、名刺がなかったことを伝える。

理由はわからないのだが、なんだか馬鹿にされているというか、鼻で笑われているというか、そういう心地の良くない感じがした。

 

店の住所や電話番号の記入された正式なものが必要なのだと思った。わざわざ名刺を要求されたのはそのためだろう、と。

「住所や電話番号がわかれば名刺じゃなくても大丈夫ですか?」尋ねると「うん、まぁ」と返事が帰ってくる。「それでよければレシートならあるんですけど…」と、お客さんの捨てていった不要レシートを1枚差し出した。

レシートには店の住所と電話番号が印字されている。

 

差し出したレシートを警察の方は手に取らない。目で確認をしてそれっきりだった。

おじさんの聴取を終えて呼びに来た別の方が「なんすか、このレシート」と問いかけるがベテランの警察の方はなにも答えない。「住所と電話番号が書かれたものが欲しいと言われて渡したものです」代わりに僕が答えた。

馬鹿にされているような心地の悪さはずっと居座っている。その原因がわからないまま、2人の警察の方は僕から離れていった。

 

おじさんは警察の方に釣れられて店を出ていく。僕は警察の方にお礼を言って、退勤登録をしてから店を出る。残業代がつかないことにしょんぼりしつつも、それ以上に苛立っていた。

 

あのベテランの態度はなんだ!

結局レシートは置いて帰るし、そういえば渡したときに礼を言われなかったし、それ以上に終始馬鹿にされているような心地の悪さが漂っていたし。

何なんだあいつは!

 

帰り道、頭の中は忙しかった。

ベテランの警察の方の態度を思い返して改めて腹を立て、ついでに店の入り口の前で聴取を行っていたことも思い返して「誰か場所替えの提案をしろよ、入店音うるさいんだよ」と腹を立てる。

一通りの悪口を頭の中で言い終えたあと、心地の悪さが居座っていた理由を考えた。

 

この程度のことで警察呼ぶなよ、という雰囲気を警察の方から(勝手に)感じ取ったのだろうか。

「お前フリーターっぽいフリーターだな、全然社員に見えないわ。」悪口まみれの心の声を聞いたのだろうか。

 

否定しきれない被害妄想を色々したあと、ぼんやりと見えてくる。

馬鹿にされていると感じたってことは、なにかを間違えていたんじゃないか?名刺がなかったことを伝えたときから感じ始めたことだよなぁ…。

 

頭の中の靄は晴れ、強烈な恥ずかしさに襲われる。「30歳にもなって、名刺と自分が全く結びついていないなんて…」

名刺の要求は「あなたの身分を証明できるものを見せて」という意味だったのだ。全く思い当たらなかった。

 

馬鹿にされていると感じた自分の感覚は間違いではないだろう。警察の方からすれば、僕の言動は馬鹿にするに値した。

「お前の名刺を見せろ」と伝えたら、確認してきます」と事務所に消える。戻ってきたら「ちょっと無さそうですね」と他人事。おまけに「レシートならあるんですけど」と謎の提案。

 

「会話が成り立たない客を連れ出してくれ」と警察を呼んでおいて、呼び出した僕も警察と会話が成り立っていない。

ミイラ取りがミイラになってしまっていた。張り込み中の万引きGメンが、お腹を空かせて売り場のスニッカーズを食べてしまうようなものだ。

馬鹿にされても仕方がない。

 

「サービスや飲食の従業員は普通名刺なんて持ってないぞ。当然のように名刺を要求したお前のほうが世間知らずなんじゃないか!」

自分を守るための相手への悪口はいくらでも思いつくが、それ以上に恥ずかしさのほうが大きかった。

名刺を要求されて自分のものだと思わないなんて…。

世間知らずにも程がある。もう30歳だぞ。