いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

曲がり角まがるまがる

選びたくても選べなかった経験は誰にでもある。どうやっても手が届かないものから、指先が一瞬触れたものまで様々。

 

最愛の人と生涯連れ添うこと。希望の就職先から内定をもらうこと。大学に進学すること。

駅近の新築マンションの角部屋を契約すること。嵐のコンサートチケットを正規ルートで入手すること。焼きたてのクロワッサンを購入すること。

スキニージーンズが似合う体型。ぱっちり二重。実は左利きというカミングアウト。

 

この角で曲がったらどうなるのだろう?

通りがかる度に、一瞬頭をよぎる。こちらは、ここ数ヶ月毎日のように繰り返している選ばない経験。

 

バイトの帰り道。いつも曲がる角の一つ手前。曲がった先に見える道の交通量の少なさ。いつもの道に合流する予感。

 

この角を曲がって進んだ先にいつもの道との合流が待っているかもしれない。たぶん、いや、絶対。あ、でも…きっと。

合流しそうな雰囲気はあるのだが、踏ん切りがつかない。合流できる道だとしたら今すぐにでも曲がりたいのだが、もしも違ったらと想像をするといつも通りの道を選んでしまう。交通量の多い排気ガスまみれの大通りを歩いて帰ることを受け入れる。

引き返すのが面倒臭く感じるくらいまで進んでみないと、合流するのかどうかを判断することができないのだ。

バイト帰りの体力で引き受けるにはリスクが大きすぎた。

 

深夜3時、ラジオを聴き終えた僕は散歩に出かけた。いつもの道を通って、いつものコンビニを目指す。

あ、そうだ。部屋を出てすぐに思い付き、目的地を変更する。いつも曲がろうと思って曲がれないあの角を目指した。

 

いつもは選ばなかった角を曲がって部屋まで帰る。どれだけ歩くといつもの道に合流するのか、帰宅までの時間はどれくらい違うのか。それを確認しようと思った。

といっても5分くらい歩き続けていつもの道に合流をするだけだから、違うのはせいぜい1〜2分の話だろうけど、と高を括って。

 

歩き始めて5分くらいは予想通りの道が続いていた。合流の予感は変わらない。直進を続けた。

曲がる前に見えていた景色が全て背後に流れて消えた頃、予想とは反対の方向に緩やかなカーブが始まる。

 

深夜のノリ。サンタの置き土産(日付変わって26日)。偉大なる〇〇の意志に導かれて。

普段の自分なら、合流しないだろうと結論付けて引き返しているのに、この時の僕は進むことを選んだ。

 

直進を続けた後に左にカーブしていけば合流できる。どこかの角を左に入っていけばすぐに合流をすることができる。これが僕の見立てだった。

しかし一向に左へのカーブは始まらないし、左に折れる角もない。仕方なく緩やかな右へのカーブに流され続ける。

 

道が細くなり、分かれ道が多くなったところで基本的なルールを決めた。なるべく左を目指す。それが無理でもせめて直進を。

あれが青春だったのか…。5年後10年後にふとそう思う日が来ないと辻褄が合わないくらいに振り向かずに歩き続けた。ずんずんずんずん歩き続けた。

 

もう引き返すことができないところまで来てしまったのだな。

暗闇の中を歩き続け、知らない道を歩き続け、自分の今いる場所をすっかり見失ってから、そう思った。

 

「その不安を30手前でだらだらとフリーターを続けていることに感じて!強く強く感じて!!」両親が心の中で叫んでいる。

そのことを知ってか知らずか、僕はそれに負けない大きな不安を、知らない夜道の知らない場所で感じていた。このまま帰れなくなることに対して、強く強く。

 

なんか見覚えがあるぞ、という道に時々出くわして心を持ち直す。方向的にはたぶんこっち、という根拠のない予感を頼りに軌道修正をしながら歩き続ける。

 

この酒屋と交番はいつか見たことがある。今のアパートに住み始めてすぐの頃(現在7年目)、近隣散策でぶらぶらして(軽く迷子になって)いたときに通りがかったことがある。

そんな気がした。

 

直進と左折、どちらの道にも見覚えはない。しかし酒屋と交番の位置関係にはどことなく見覚えがあった。

左折の方が知っている道に繋がりそうな気がして突き進んだのだが、進むほどに道は暗くなり、知っている道につながる予感もなくなっていく。

根拠がなくても成立する予感すら失い、途方にくれる。電柱に表記された住所を見てさらに心細くなる。

 

知らない地名、知らない夜道、見えない出口。最終目的地はアパートの部屋だが、はるか遠くにあるはずのゴールに向けて、第一歩をどの方向に踏みだせばいいのかわからない。

 

この期に及んで自分の中に厄介なものが芽生える。

帰宅するまで時刻確認をしてはいけない、街中の地図看板を見るのはいいけどグーグルマップに頼るのはなし、という謎のルール。

部屋を出たのは深夜3時。わかっていてその提案をする意味がわからない。しかも途方にくれている自分に対して。

 

地図看板に記載されているのは、知らない地名と知らない地名と知らない地名。部屋にたどり着けない可能性が現実味を帯びてくる。

夜が明けたらタクシーを拾って帰ろう…。気持ちはいよいよのところまでくじけてきた。

 

何枚目かの地図看板の中に、初めて知っている地名を見つけた。その地名の方向を目指すことと部屋に近付くことが一致している保証はないけれど(地名を知っているだけ)、他にすがれるものはないので迷わず飛びつくことを決める。

 

決めた後にまた困る。現在地からどの向きに進んだらその地名の方向なのかがわからない。北はこっち、って方位磁石の絵が書いてあるけど、そんなものでは方角はわからない。

西から登ったお日様が東に沈む。バカボンの歌のこれが正しくない知識で、東から昇って西に沈むのが正しい知識ということはわかるのだが、そもそもの東がわからない。

 

この向きで看板を立てたってことはこっちの道はないな。入り口と出口の間がブラックボックス化された無茶苦茶な理屈でもって、完全に消せる方向から切っていく。残された選択肢の中からなんとなく大丈夫そうな(気がしているだけの)方向に進んでいく。

 

地図看板の中に知っている地名が増えて来たところで、随分前に通過した酒屋と交番の前に戻って来た。感覚的には「さっきと全く同じ位置関係の別の街」だが、あったとしても同じ夜の間にはたどり着けないだろうと思った。

これはさっきの酒屋と交番だと判断をした僕は、左折で失敗した経験を踏まえて直進を選択した。

 

左折がダメなら直進。そんな安直な発想で抜け出せる夜だとしたら、こんなにも心細さを感じていない。左折した先に帰宅の可能性が消滅したから直進を選んだだけで、直進を選択した先にあるのはあくまでも、まだ消滅をしていない帰宅の可能性だ。

 

直進を続けていくとひらけた通りに突き当たった。道の向かいには業務スーパーが見える。

 

緊張の糸が切れ、全身の力が抜けていく。不安が安堵に変わり、疲労となったところで形を確定させる。やっと土の中から出て来たと思ったら、このカブトムシはメスでしたー!!!

 

目の前には、よく知った景色が広がっていた。ここからなら100%帰宅することができる。

 

疲労でずっしりと重い体を運び続けて無事に部屋へとたどり着く。全身に感じる重量感で言えばカンガルーというよりもししゃもの気分。

あれだけたくさん歩き続けたのだ。家を出てから2時間は経過しているだろう。新聞配達のバイクを何度も見かけたから、もしかしたら6時近いかもしれない。部屋を出たのが3時過ぎだから、そしたら3時間か…。

 

まだかじかんだままの指先でポケットからスマホを取り出す。体温で温かくなっているスマホの表面がなんだかムカつく。

 

ホームボタンを押して待ち受け画面を表示させる。

 

4時08分。

 

普通に帰ってくるよりも30分余計にかかっただけだった。あれほどの強い不安に襲われていたのに、想像よりもはるかに短い時間での帰宅となった。

毎日のように曲がることを「選ばなかった」のは、それが選ばなくていい選択肢だということを本能的に理解していたからなのだろう。

 

あの角だけは二度と曲がらない。

今年一番の強さで心に誓った。