いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

同窓会に参加していない僕と(正確には誘われていない)、参加し続けて最後の一人になった彼。

なんだ、今年はこれしかいないのか?

 

三上と山崎は?

 

下田もいないのか…。

 

あ、そうか、そういえばそうだったよな…。

 

成人式以降の同窓会に一度も参加していない。28歳の現在、中学や高校の同窓会が行われているのかわからない。行われているとして、何人くらい参加しているのだろうか。

参加してないというか、誘われていないだけなんだけど。

 

一回も開かれてない可能性を否定しないことで、希望を持ち続けることにしている。

 

24歳くらいまでは年に1回くらいお誘いが来た。中学か高校のどちらかからは誘いがあった。

誘いがメールの時は、1日置いてから返信。電話での誘いの時は、一旦は出ないでおく。もう一度かかって来たら通話ボタンを押すことにしていた。

 

都合が合わない、せっかく誘ってくれたのにごめんね。

 

必ず断っていた。 電話で断るときには、わざと音を立てて手帳をめくり、その音を電話の向こうの同級生に届けようとしていた。 あー、ごめん、その日行けなさそうだわ、と残念そうな声色で。

希望シフト制のフリーターに都合がつかないわけがないのだが。

 

成人式の同窓会(主催は中学校)には参加した。中学の同窓会はそれが最初で最後になっている。

ものすごく居心地が悪かった。会の始まりの段階から、ずっと。

 

幹事と一部の人だけで一軍の女の子にサプライズをして大盛り上がりしていた。その様子を見せられ続けた。

 

居心地を悪く感じさせた理由がもう一つ。 中学の同級生と全然噛み合わなかった。どういうわけだか噛み合わなかった。

 

思い出を共有していてるはずなのに。当時のノリで会話をしているはずなのに。

それなのに、ものすごく噛み合わなかった。

 

話自体は噛み合っているのだけれど、感覚が全く噛み合わなかった。

本当に同級生としゃべっていたのだろうか?そう思ってしまうくらいに噛み合わなかった。

 

表面的には楽しくお喋りしていたのだけれど、とても居心地が悪かった。二次会には参加しないで帰った。

それが最初で最後。

 

この先の人生で参加することはないだろう。

ま、この5年誘われてすらいないから、願いがかなったようなものだ。

 

毎年参加している人はどうなんだろう?

ふと思った。

 

メンバーはそろそろ固定されていることだろう。 同窓会っていうか、普段よりかしこまった飲み会、ぐらいになっている頃かも。

 

普段は着ないジャケットを身に付けて、妻に言われて髭を綺麗に剃ってから家を出る。

いつもとは違うお店。でも先週の土曜の夜のメンバーに何人か加わったくらいの状態。

 

それが同窓会なんだろうな。益々行く気になれない。誘いなど来なくとも、気持ちだけは固まっていく。

地元に残っていて現在同窓会に参加している人は、この先も参加し続けるのだろう。

結婚しても、子供が生まれても、仕事を辞めても。自営業が上手くいかなくても、離婚して妻に逃げられても、養育費と慰謝料の支払いが重くのしかかっていても(あっ、まずい心の中の醜い部分が漏れ出して…)。

 

彼らは同窓会に参加し続けるのだろう。 学生時代を遥かに凌ぐ量の思い出を共有していくのだろう。

 

50歳になり、60歳になり、70歳になり、少しずつ参加メンバーの数が減っていく。

その最後の1人になったとしたら。

 

20代半ばで誘われなくなったやつには想像もできないような深い悲しみに包まれるかもしれない。

笑って見送るには、思い出を共有しすぎているかもしれない。

忘れてやろうにも思い出は多過ぎて、忘れてやれない。忘れ切れない。

 

その悲しみが羨ましくもある。

僕には味わえない悲しみだ。

 

同窓会最後のひとり。幸せと悲しみが同居する。

他者と繋がる煩わしさと、1人では味わえない喜びとが同居する。

 

ものごとって両面なんだな。

煩わしさから解放される代わりに、僕は誰かと分かち合う機会を手放している。