いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

特別な日だからまっすぐ帰る

街の中には、特別な日だと思い込ませるような演出が施されている。この日のために特別に用意されたもので溢れている。

しかし実際のところ、クリスマスというのは特別な日なのだろうか?

 

年中行事の中でこれほどまでに同調圧力を強くかけられるイベントは他に無い。ハロウィンやバレンタインの比ではない。

クリスマスだけだ、こんなにも素敵に過ごすことを強いてくるのは。

 

特にタチが悪いのはイルミネーションだ。誰もが通行可能な道でキラキラキラキラ輝いて、素敵に過ごしてくださいねー、と背中を押してくる。

 

押された先に、気になる異性が待っているのならいい。放課後の教室や体育館裏に気持ちを伝えたい相手が待っているのならいい。伝えたいけど伝えられない想いを抱えていたならば、背中を押したその手に感謝をするだろう。

 

しかし、押された先に気になる異性が待っていない場合(どれだけ気になっていても齋藤飛鳥ちゃんはあなたの学校にこない)、あなたが放課後の教室で目撃するのは一軍カップルのイチャつきであり、体育館裏で目撃するのはヤンキーの喫煙だ。

 

背中を押されて地獄に落ちる。古典落語の演目にありそうなこの悲劇は、毎年毎年繰り返される。

 

みんなはクリスマスの夜を素敵に過ごしていますよ。だからあなたも。

 

素敵な夜を過ごしている人は一定数しかいないのに、それが世の中の全体であるかのような切り取り方と強い同調圧力。

 

子供の頃にゲームをねだった自分が思い出される。

みんな持ってる。みんな持ってるから、買って。持ってないと仲間はずれにされちゃう。ちゃんと勉強するから、だからお願い。

本気のお願いの中に嘘が3つ混ざったあの記憶。買ってもらえなくても仲間はずれにされないし、ゲームなんて買ったらもっと勉強しなくなる。それに「みんな」はいつも通りのあいつとあいつとあいつの話。

 

親は首を縦に振らない。縦にくっきり2本の皺を入れて眉間を飾り付けても、首はいつでも横に振られる。

我が子の言う「みんな」の顔が見えているので、子供の主張に不安を感じないのだ。

 

ウチはウチ、他所は他所。みんなで遊ぶゲームだったら持っている子の家に遊びに行けばいいじゃない。手土産のカントリーマアムなら買ってあげるわよ、あとはファミリーサイズのアルフォートとか。

普段よりもワンランク上のおやつ。それはそれで悪くはない提案。

 

街中では「みんな」の顔が見えない。今の時期、スーツの上にコートを着た人が堂々と歩いていたら、予定があるかどうかの見分けは全くつかない。

だから不安なのだ。素敵な夜を過ごせていないのが自分だけのような気持ちにさせられる。

山下達郎のクリスマス・イブが街の至る所から聞こえてきて、予定のない我々(勝手に巻き込んでごめん)を不安にさせる。陽気に歌ってないで竹内まりやも旦那をとめてくれよ!

イルミネーションが眩しい…。

 

押し寄せてくる。押しつぶされそうになる。でも大丈夫。不安を解消する方法はある。

必要なのは設定だ。実際には予定なんかなくたっていいし、無理に入れた予定の消化に疲弊する必要もない。

設定を忠実に守り、胸を張って帰宅をする。そうすれば、予定のある人としてクリスマスは終えられる。

 

皆さん、お忘れではないでしょうか?

クリスマスは、家に帰るまでがクリスマスですよ!

 

これは本当の本当のことで、たとえついさっきまで大好きな人と素敵な夜を過ごしていたとしても、マンションに戻る道すがらコンビニに寄ってしまえば、あなたは予定のない人と一緒なのだ。

 

男女問わず、この時期にコートと革靴(女性だとヒールの靴?)の組み合わせで、しかも一定以上の清潔感があれば、仕事帰りかデート帰りかなんてわからない(下品ならデート帰りで私服のセンスがないとわかるけど)。

コンビニ店員からみればどっちも同じだ(経験者は語る)。夜中にコンビニに寄るようなクリスマスを過ごしたってことは…。

 

こんな日にコンビニでスイーツ買って帰ったら、こんな日にコンビニでバイトしている僕と大差ないですよ。勤務する時間帯が違うだけで、お互いクリスマスが仕事で終わっていますからね。

お姉さんが今レジに持って来たフルーツタルト、2時間後の廃棄で僕も貰って帰る予定のやつです。

お買い上げありがとうございます!!

 

やはりクリスマスは特別な日だ。予定があってもなくても、寄り道をせずに帰る必要性がある。

人々が恐れているのは、素敵なクリスマスを過ごしているかどうかを判断する他人の目だ。