いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

枠の外には出ていかない

一獲千金を夢見て購入。

とはいえ現実的に、少しでも確実に。

どっちみち神頼みでしかないけれど、確実性を重視する。

 

いやいや、スクラッチくじで確実性って。

 

夏の思い出といえば、スクラッチくじを買い続けた去年の夏が真っ先に思い浮かぶ。

プールでなければ海でもない。バーベキューでもキャンプでもない。そもそも今年じゃない。

 

去年に負けてる今年の夏の薄っぺらさ。 今年は電車内で浴衣の人を見た時に、今日どっかで花火やるんだ…くらいの夏だった。

 

去年の夏、気まぐれで買ったスクラッチくじ10枚で、購入金額以上の当たりが出た。

 

スクラッチくじは1枚200円。僕は10枚セットを買った。

当たりは2枚。3000円が1枚と、200円が1枚。合計で3200円の当たり。購入金額との差額で1200円の利益が出た。

 

当たりが出ると気分がいい。10円硬貨を使ってくじを削っただけで、1200円の利益が出た。金額としては小さいけれど、僕の時給では1時間バイトしたって1200円には届かない。

 

利益は1200円。しかし当選金額は3200円だ。テンションはより大きな当選金額の方に引っ張られていく。3200円が儲けそのものという感覚になっていく。

 

甘い蜜を吸ってしまっま僕は、出かけるたびにスクラッチくじを買った。10枚買ったり、20枚買ったり。

時には一万円札を財布に忍ばせて売り場に出向き、まとめて50枚を買った。

 

夏のイベントとは縁がない。友達がいないから花火大会にも縁がない。 火がついたのは花火の導火線ではなく、スクラッチくじだった。

 

お金はあっけなく消えていった。

余韻は残らない。夜風は気持ち良くない。

 

2週間で5万円以上を使った。250枚以上を削った先の当選金額は8000円程度だった。

 

最初の20〜30枚は、削る度に当たるかどうかにいちいち反応していた。しかし、すぐに慣れてしまった。 削り方を工夫して、ドキドキ感の延命を図ったけれど、それも長くは続かない。

興奮は消え、事務的な作業へと変化していく。

 

バイト代がスクラッチくじに変わり、スクラッチくじが紙くずへと変わっていく。 当たりは10枚セットに必ず入っている200円ばかり。換金しに行く気持ちが湧き上がらない。

 

2万円使ったあたりで、おやおや、と思った。

5万円使った時には確信に変わった。

なるほど、そういうことだよな。

 

ギャンブルの類は、自分の稼ぎの中で、娯楽の枠の中で遊ぶ分には、いくら損失を出しても構わない。 スクラッチくじでも、パチンコでも競馬でも。

使い道の違いでしかないから。美味しい料理を食べるのに使っても、舞台を見るのに使っても、本を読むのに使っても同じこと。枠の中で使う分には、何を選んでも使い道の一つでしかない。

 

だけど、娯楽の枠からはみだしたら、もうおしまい。負けを取り戻そうとしたらおしまい。

 

プラマイ0を目指そうとする自分を認識したら、もうおしまいだ。足を洗って違う使い道を探した方がいい。

その時にはもう、娯楽ではなくなっている。

 

オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない。トップアスリートみたいな理屈は娯楽の世界では成立しない。 ギャンブルの借りをギャンブルで返すなら、それはもうギャンブルだ。娯楽ではなくただのギャンブラー、博打打ち。

 

負けても笑って帰るのが娯楽だ。カラオケ代とか映画代と同じで、体験に対する出費でしかない。

 

今でもときどき、売り場の近くを通ると買っちゃおうかな…という気持ちになる。

万が一がないわけじゃない。

でも、そういう気持ちがギャンブル沼の入り口だ。楽しむことではなく、勝つことを目的としている。

売り場を素通りするべきだ。娯楽の枠から外に出ている。

 

手放した所持金が5万円で済んだのはラッキーかもしれない。

ひと夏の娯楽代として払うのがこの金額なら受け入れられるし、勉強代として考えることも出来る。

 

枠の外には出ていかない。

娯楽を娯楽たらしめるために忘れてはいけない心構えだ。