いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

積み上げた日常に屈する

一度だけ、結婚式に招待をしてもらったことがある。26歳の春、2年半ほど前の出来事だ。

 

自分が結婚することはもちろん、招待されることも考えたことがなかった。

嬉しいよりも失礼がないように、という気持ちが強かった。

 

スーツを買い、内羽根のストレートチップを買い、準備を整えた。 買い忘れたネクタイは兄貴に借りた。

スーツの採寸をしてくれた方は出身県も市も同じで、すごく良くしてくれた。 地元トークが全く盛り上がらなかったのは、通学路を一本外れたら全く知らない街になってしまう僕の行動範囲の狭さだ。

 

誘ってくれたのは幼稚園からの付き合いの友達。いまでも友達と言っていいのか迷う。

 

家が近く、部活も同じだった。中学までは毎日のように顔を合わせていので自信を持って友達と言えた。

 

しかし高校は別で、それ以降は特に交流がなかった。 15歳から26歳までの11年間で、僕が彼と顔を合わせたのは、たったの2回だけ。

高校の卒業を間近に控えた頃に草野球に誘われたのと、成人式の2回だけだ。

 

11年間でたった2回しか会ってないし、メールのやりとりだって当然していない。 そんなんだから友達と言っていいのか迷う。おこがましい気がしてしまう。

 

僕は挙式から招待してもらっていた。人数合わせではなく、人数を絞った中で僕が脱落しなかったらしいことを、当日知った。

 

会場には中学の頃の同級生が何人かいた。 話をしていると、自分が招待されたことが改めて不思議に思える。

人数の関係で招待を断念した人がたくさんいたらしい。披露宴から招待された面子を見ても、僕が脱落しなかったことが不思議でならない。

 

自分なりに祝福の気持ちを胸に参加させてもらっていたけれど、結局は誘ってもらえたことに対する感謝の気持ちが、ひと回りもふた回りも大きくなっただけだった。

 

内輪ノリの極みのような新郎友人の余興を遠目に眺める。 新郎の上司が、緊張に飲まれないようにピッチを上げた酒に見事に飲み込まれ、挨拶がままならない。

 

ブーケを掴んだ新婦の友人のはしゃぎっぷりを見て、運命の人との出会いは今日じゃないだろうな、と思った。

 

結婚式らしさを存分に味わうことができた。

あらゆることが新鮮だった。

 

ベタだけど、両親に対する感謝の手紙は素敵だった。内容も形式もベタだったけど、それが良かった。

新郎も感謝の手紙を用意していて、それだけがベタじゃなかった。

 

当事者と参加者の間でちょっと温度差があるのも、いいなと思った。当事者同士にしか分かり合えないものがそこにある感じがして、それが良かった。

周囲に対する説明としては情報があまりにも不足しているけれど、まぎれもなく感情のうねりが存在していた。そこに立ち会えただけで十分だった。

 

新郎・新婦ともに父への感謝、母への感謝を伝えたのだが、分厚い母への感謝の前に、父への感謝の薄いのなんの。

 

大事なことは遅れて伝わる。 ヒーローと同じで、街が壊滅的になる一歩手前、自分でなんでもできると勘違いし始める一歩手前で、父のありがたみというのは理解できるようになる。

 

土地柄なのか、時代なのか、僕を含め同級生は大半が専業主婦の家庭だった。

父が外で稼いで、母が家を守る。 父の頑張りや家族への想いなんてものは、思春期や反抗期を駆け抜けるまでちっとも伝わらない。

 

やっと伝わって、やっと理解してもらえて、節目に伝えてもらう感謝の言葉の薄いのなんの。母への感謝の言葉に比べたときの薄さたるや。

障子紙じゃないんだから、適度に光が透けて綺麗だね、じゃないんだよ。

 

母と子供が積み上げた日常の前で、あまりにも無力だった。やっと伝わった父の頑張りや家族への想いは、日常の前に無力だった。

 

父親って、哀しい役割だな、と思った。

 

帰宅後、家族に結婚式の様子を聞かれて、出来事や感じたことをいろいろ話した。もちろん、感謝の手紙についても。

口を挟むことなく黙って聞いていた父の表情は、ほろ苦いような、しっかり苦いような。

 

僕が手紙を書いたとしても、母と積み上げた日常の前では父への感謝の気持ちは薄く仕上がるだろう。

 

だけど悲しまないで。ある程度は伝わっているから。 全部は理解できていないだろうけど、あなたの頑張りや家族に対する気持ちは伝わっているから(ある程度は)。

そこだけは安心しておくれよ。

 

ある程度じゃだめ?

全部は無理よ。全部理解できているって言われたら、それはそれで腹立つでしょ?

 

これについては全部理解できている。

血の繋がりってやつだ。にくいね。