いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

寝たふり寝たふり架空の宿題

寝たふり寝たふり架空の宿題。

席替えの結果次第では、卒業までの多くの時間を、俯いたまま自分の席で過ごしていただろう。

 

「共学だったらな…」いつの世も男子校出身者はたらればを語る。共学だったら自分にも恋愛のチャンスがあったかもしれない、と。

「ないよ、自分にはないよ」いつの世の男子校出身者にも同じ言葉をかけてあげたい。男子校でチャンスない奴は共学でもないよ。

 

41人クラスの構成は、男子15・女子26だった。僕の経験から言わせてもらえば、ファンタジーで語る余地が残されている男子校出身者はそれなりの幸せ者だ。給料安いけど正社員だし一応はボーナス出るし、みたいな状況。

男女比が3:5で、お前みたいなブス誰が相手にするかよ(片田舎の公立高校のクラスに集まる26人ですから、そりゃあ何人かは…)、と言ってやりたいブスにすら相手にされない1095日の高校生活。

 

女子どころか男子ともうまく関われなかった。2年の時のクラスでは、秋の席替えが行われるまで居場所を見つけられずにいた。

1年の時のクラスメイトや中学からの同級生、部活の同期など、会話ができる・冗談が言い合える仲の人はいた。一対一なら。

 

前提をクリアすることのむずかしさたるや、STAP細胞発見の如し。

 

一回でも成功した(ように見えてしまった)ら、あと何回やってもそう見えちゃったんじゃないか、と。

そんなでもなかった子を一回「あれ?結構可愛いんじゃない?」と思うと、次から可愛い子にしか見えなくなるあの感じ。

完全余談ですが。

 

一対一なら仲良くできても、その一対一の状況が作り出せない。優先順位の低い友達には一対一のチャンスは滅多にやってこないのだ。

 

休み時間はもっぱら寝たふりをしていた。寝たふりに無理があるときは宿題をやり、宿題が出ていないときには架空の宿題をやっていた。

「あれ?宿題出てたっけ?」近くを通ったクラスメイトに声をかけられ「あれ?出てなかったっけ?」と、とぼけてみせる。

何かをしている状態を保つことで「ただ1人でいる」状態から脱しようとしていた。

何かをしているから「たまたま1人でいる」だけ、そういうことにしようとしていた。

寝たふり寝たふり架空の宿題。

 

2学期も折り返しを迎えた頃、席替えが行われた。左から2列目、前から4番目。

後ろの席がK君であることにこの時は何の感想も抱かなかった。

 

相手の受け止め方次第だな、とつくづく思う。

いじりなのか、いじめなのか。種は同じで育った環境によってその姿を変えているだけなのか。

K君が僕に出すちょっかいは「いじり」になった。椅子の背に被せている(僕の)防災頭巾に落書きをする行為は、結果的にいじめにはならなかった。

僕は楽しんでいたし、嬉しく思ってもいた。文句を言ってK君とやりとりをすることも、それを見て周囲の人が笑っていることも。もっと来てもいいぞ、とすら思っていた。

K君がどういうつもりだったのかはわからない。クラスに溶け込めていない僕を気遣ったのか、単なる好奇心やいたずら心(悪意寄りの)だったのか定かでない。

まかれた種が芽を出し、花を咲かせたとき、1番得をしていたのは僕だった。

結果を見ても過程を見ても、いじり以外の何ものでもなかった。

 

防災頭巾に落書きをされた時、俯いてじっと身を硬くしていたら。

僕は部活の時間を除いた高校生活を笑顔なく終えていたことだろう。3年のクラスは2年からそのまま持ち上がりだったのだ。

 

後ろの席からちょっかいを出すK君、文句を言う僕、笑う周囲。

好循環は2学期が終了するまで続いていった。

恐れていた新学期を乗り越えた僕は、寝たふりと架空の宿題に取り組む日々から晴れて卒業した。

新学期になった後も、席替えをした後も、K君と僕の関係、周囲の反応はリセットされなかった(あれ?それを一般的にはいじめと呼ぶのか?)。

 

3年の文化祭のときには、クラスを代表して2人でステージに上がりネタを披露(真似事ですけど)した。

代表者の選考はホームルームで行われた。もちろん立候補者は0だ。

K君と僕の名前が挙げられたとき、2人とも異議を申し立てた。口では嫌よ嫌よと拒否をした。

言いながら(少なくとも僕の方は)、「強めに押してもらえたら、あとは勝手に倒れていきますよ」と1枚目のドミノのような気持ちで決定が下されるのを待っていた。

「2人がやればいいんじゃないの?」職権を乱用した担任から拒否権を剥奪されたとき(願ったり叶ったりの展開)、僕はどんな表情をしていただろう。

嬉しさを隠せていただろうか?

 

文化祭以降、教室の中に居場所がないと感じることはなくなった。有難いことだ。

寝たふりをする必要も、架空の宿題をする必要もなくなった。その分授業中に眠くなり、成績は下降していったけれど。

 

卒業アルバムの寄せ書きのページには、多くの人が言葉を書いてくれた。

部活の後輩でかさ増ししたことは否定できないし、関係の薄さを簡単に見破れるようなコメントもいくつかあったけれど、ちゃんと埋まった。

寄せ書きや記念撮影をする時間、自分の席で俯き時間が過ぎるのをただ待つしかできない辛さから逃れることができた。

見開き2ページはちゃんと成立し、寄せ書きページとして見栄えのいいものになった。あれだけ集まれば沢田研二だって素直に出てくる。

 

高校卒業後、K君とは20歳か21歳の時のクラス会で一度会ったきりだ。

その時は、コンパで知り合った借金が1000万円あるキャバクラ嬢と夜中に海に行った、という話を聞いたっけ。

今何をしているのだろう。

 

K君とは再会するときがやってくる気がしている。

会おうとしなくても、いつか、自然に。