いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

新しくても実家

実家が新しくなった。


定年退職から3年4年(たぶんこれくらい)。父は念願のマイホームを手に入れた。

あ、でも、本人に確認を取っていないから、念願なのか、計画通りなのかはわからない。衝動的に、ってこともなくはない。

 

実家は古かった。ぼろっぼろではないけれど、褒めるとしたら、良い味を出している、としか言いようがない感じ。趣がある、ってやつですかね。いとをかし。

 

築うん十年の木造で、たぶん50年じゃ済まない。部分的に床下暖房ならぬ床下冷房で、床板の下から冷たい風が吹き出される。
お陰で(?)冬場に一日中ストーブを焚いていても、換気がいらない。室内の空気は勝手に循環されていく。アナログにして最新のテクノロジーと同等の循環システム。

 

昔の家だから、骨組みに使われている木材は太くて丈夫。ボロいのは床板だけですよ、という実家へのフォロー。

 

ずっとそこで育ったものだから、生活する上での不便を感じなかった。ただ、小学生の時に友達の家でフローリングとベッドの組み合わせを見たときは、この家に生まれたことを後悔した。何でぼくは、畳に布団の家に生まれてしまったのだろう、と。

 

建て直された実家はフローリングだ。ベッドではないけど、今はもう気にならない。なんだかんだ布団は扱いが楽で良いと思うようになったので。

大人になりました。

 

追い焚き機能のついた風呂に、ウォシュレット機能のついたトイレ。婆さんの為にに和室があって、インターホンにはモニターがついた。洗濯機は母の希望でドラム式ではなく縦型だけど。

 

元々の実家と比べると、今の実家は最新式に思えて来る。そうとしか思えない。

実際の最新式の住宅がどんなものかはわからないけれど、初めて新しくなった実家に帰省したときに僕が感じたものが全てなのだから、それで良いのだ。

 

新しくなった実家には、普通に実家感があった。建て直されて綺麗になるのは嬉しいけど、父の念願(おそらく)を邪魔する気は全くないものの、実家感がなくなっていたら嫌だな、と思っていた。

帰省するにあたり、それだけが心配だった。

 

いざ帰省してみたら、そこは間違いなく実家で、設備が整って綺麗になった分ラッキーだと思った。
いつも通り駅前の肉屋にコロッケとチキンカツを買いに行ったら、揚げたてだから火傷しないように気をつけてね、って言われた感じ。
うぇーい、ラッキーーー!!!

 

同じ場所に父と、母と、祖母がいて、いつも通りに接してくれる(たまに兄とかなりの確率で弟もいる)。


今まで通り居場所がある。


この人たちの中に自分を受け入れてくれるスペースがある。

それを感じている自分がいる。

 

同じ場所に変わらず自分を受け入れてくれる人たちがいる。すんなりと、新しくなった家を実家として受け入れられたのは、そういう理由なのかもしれない。

 

月日の流れが変えてしまったのは、かつての
「おっさん、おばさん、ばばあ」を「じじい、ばばあ、ばばあ」にしたことだけだ。