いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

今月も欲しい(たぶん来月も)

お金が欲しい。

お金が欲しい。

お金が欲しい。

 

相続相手を探している資産家のお婆さんにこの想いよ届け!

若者の労働意欲を失わせるほどの財産を相続させたい、ってお婆さんはいないだろうか?

 

現状では、労働していて意欲がない。だから、そっから労働がいなくなるのなら十分に助かる。

頑張れない時には頑張らないで生きていけるお金があったら最高だと思う。

 

無理して学校行かなくてもいいよ、には肯定的な人が多いのに、無理して働かなくていいよ、には肯定的な人が多くない。

だからお前はダメなんだよ。そんなんだから正社員になれないんだろ。一生そうやって低賃金のフリーターやってろよ!

逃げていいのは子供のうちだけなんですかね?

 

バイトで稼いだお金はほとんど使い切る。自分のためにしかお金の使い道がない生活を続けていると(友人と呼んでも大丈夫そうな人と最後に接触したのは3年前だ)、物欲がどんどんと強くなっていく。


毎月のように何かを買っている。買ったもののなかには欲しくて買っているんだか、買いたくて買っているんだかわからないものもあるけれど、お金を使わずにはいられない。使わずに月を越すとなんだか収まりが悪い。

 

ベランダで育てているミニトマトが枯れないように水やりをする。

物欲を満たすことはこれと同じだ。今の僕にとっては生命維持の手段みたいなところがある。

バイト代であれを買おう、くらいしか生活のモチベーションがない。

 

家賃と生活費のためにバイトをして、残ったお金をどうするか。
万が一に備えて、祝儀とか姪っ子へのお年玉とか出し惜しみするとろくなことにならない出費に備えて、貯金をする。

それが正しい選択なのだろう。理由はどうであれ、すぐに使えるまとまったお金があるかどうかで選べるものは変わってくる。

 

仮に毎月数万円ずつ貯金をして、3年半後に100万円になったとする。
その時に僕は幸せを感じているのだろうか?

 

貯金が100万円あったら嬉しい。だけど、貯めるのが好きで貯めている3年半ではない。

 

そうしなきゃ生活できないからバイトをして、そうしないでいいならやりたくない労働をする。

それを3年半続けた先に100万円が貯まっていることは、本当に幸せなのだろうか?

 

毎月、毎月、欲しいものを買うためにバイトをする。買うことをモチベーションとして3年半働く。
こっちのほうが愚かだと思う。厳しい目で、他人のこととして考えても(性根の悪さが役に立つ珍しい場面)愚かそのもの。だけど幸せなのはこっちなんじゃないか?

 

あと何日バイトに出たらこれが買える。あと何時間残業をしたらこれも買える。

時間の量り売りはわかりやすくて便利だ。シフトに入る時間が増えれば、給料が増える。給料が増えれば増えるほど、欲しかったものを手に入れる瞬間に近づいていく。

 

今は毎月のように何かを買っている。その度に気持ちは満たされる。
だけど、なにかが引っかかっている。幸せといえば幸せ、みたいな不完全さが付きまとっている。

 

なんというか、手に入れられることを幸せに感じるよりも、手に入れられない不幸から必死に遠ざかろうとしている。

たぶん、強めの向かい風にチャリンコを立ち漕ぎしているみたいな感じ。必死になってこいでいるのにあんまり進んでいないあの感じ。気持ちほどには不幸から遠ざかれていない。

 

お金があるから買える。

お金がないから買えない。

お金があるから選べる。

お金がないから選べない。

 

もっとお金があったら買えたのに。

もっとお金があったら選べたのに。

これしかないから買えなかった。

これしかないから選べなかった。

 

毎月何かを買うことをモチベーションにしている僕は、選択肢がないことを恐れているのかもしれない。

お金があったら買えたのに、と思うことで感じてしまう不幸から逃れようとしている。

 

選択肢がない不幸…。

お金がないことの惨めさって、選べないことだもんな。

 

あれが欲しい、これが欲しい、って毎月思うのは、必要金額を稼げば選択肢をもてるから。
決めた額に到達すれば、その瞬間は選べない不幸から離れることができる。

 

欲しいんだか、買いたいんだか、よくわからないまま買っちゃう時があるのは、そういうことだったのか。

選択肢が自分の側にある幸せ、それが欲しかったのか。なるほど。