いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

間でふらふら

入園式の日、僕は間違いなくスポットライトを浴びていた。

満員の観客にうっとりとみつめられる羽生選手の感じではなく、ブロック塀を背に複数の警察官に包囲される犯人の感じ。


椅子から立ち上がった僕は、園長先生に向かって、ゴリラ!ゴリラ!と連呼していた。

 

式の会場からつまみ出されたのか、母親に強く口を塞がれたのか覚えていないが、なんとなく立ち上がって指差す自分の姿は記憶にある。

都合よく捏造された記憶かもしれないけれど、そういうことをしかねない。体格の良い大人に対してゴリラと言いかねない子供だった。

 

自分で否定できないのだから、そういう子供だったのだろう。

 

両親のどちらかに似ているなら、そういうことをしない子供になったと思う。兄のような子供時代を過ごしたはず。他人に迷惑をかけない、おとなしい子。

 

まさか、僕の本当の父親は別の…いやいや、弟も調子乗りの子供だったから。

え、嘘?次男・三男が別の父お…長男が連れ子じゃないのに?
セオリー無視にもほどがあるだろ。

 

両親のどちらはお調子者だったのだろうか?
2人とも騒がないし、はしゃがないけど、暗くはないからなぁ。仲の良い友人の前ではお喋りが止まらないタイプなのだろうか。

 

一度だけ、どういう方針で子育てをしていたのか聞いたことがある。

 

母が言っていたのは、

 

長男は叱って育てた。
あれはダメ、これはダメでしょ、と。

 

三男は、褒めて育てた。
すごいね、そんなこともできるの?天才だね、と。

 

で、次男の僕は、その間をふらふら。どっちにも振り切れず。探り探りで定まらず。

 

とのこと。


それぞれの子供時代の性格は、子育ての方針に大いに影響を受けていたのだと納得がいく。腑に落ちる点がたくさんある。

 

ただ、1つだけ納得がいかない。
褒める方に振り切るんだったら、次男の時だったんじゃないの?

叱るのと褒めるのとを両方やってみたけど、どっちもうまくいかなかった。だから、三男で中間をふらふらしてみて、いい塩梅を探した、ってことなら理解できる。

 

次男でふらふらしてみたけど、いい塩梅が見つけられなかったんで、三男で振り切ることにしました、ってのは理解できない。

しかも、長男より褒め多めの子育てをして痛い目にあったのは、僕も貴方も同じ。園長先生をゴリラって呼んで痛い目に遭ったのは、僕よりもむしろ親の方でしょうよ。

 

褒め多めで失敗して、褒めに振り切るってどういうつもりだったんだろう。
手応えがあったのか?

 

たしかに長男よりは活発な子供として育ってきた。だけど、長男のおとなしさと僕の活発さでは、等価交換には程遠いものだったと思う。
もちろん、悪い意味で。

 

野口英世が大好きなのはわかるけど、その取引はやめておいた方がいいんじゃない?
貴方の福沢諭吉2枚と、彼の野口英世5枚との交換では、釣り合いが取れていないよ。等価交換とは呼べないよ。

 

結果的には、三男は僕よりも手の掛かる子供だった。小学校5年生のとき、低学年だった弟の担任に、あなたの弟どうにかしてよ、とお願いされたくらいだ。
ヤンキー的な素行不良ではなかったけれど、話を聞かない、宿題をやってこない、忘れ物が多い、などなど小学生としての全方位型問題児だったのだ。

 

3人とも成人した今、どの育て方が正解だったのだろうか。両親はどう捉えているのだろう?

 

長男は立派に働いている。社会的な地位としても、収入としても立派。
三男はちゃんと働いている。社会的な地位としても、収入としてもちゃんとしている(この辺はニュアンスで)。

 

そして次男の僕は、引きこもりと三男の間をふらふらとしている。社会的な地位としても、収入としても。


どうせなら長男と三男の間でふらふらさせてくれよ。一段下で、引きこもりとの間で、って。

 

振り切って、引きこもりになってやろうか。
親の年金収入で養ってもらえるんなら振り切るぞ、こんにゃろー。

 

お父さん、お母さん。

三男で振り切ったのは、正解だったようです。あなた方の判断は、間違っていなかったようです。どうやら。