いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

深く深く

電子マネーとクレジットカード。支払いはこのどちらかを利用することがほとんどになった。

最初は格好つけていると感じたクレジットカードの利用も、今ではなんてことない。レジで出す一枚仕立ての長方形が、紙なのかカードなのかの違いでしかなくなった。

 

注意しているのは店員さんへのカードの渡し方。

カードで!と格好つけて渡すことはしない。カードでお願いします…と、申し訳なさそうに軽く背中を丸める感じで渡す。

なんとなく、すみませんねぇ…みたいなニュアンスは必要だと思っている。自分の中でのイメージなので、実際に店員さんからどう見えているかはわからないけど。

 

カード決済をする場合、カード利用者のこちらは商品代金の支払いだけをする。しかし、利用された店舗はカード会社に手数料を払う。現金決済してもらえていたら必要のなかった手数料を払うことになる。

 

関係ないし、知ったこっちゃない。現金決済するよりカード決済した方がポイントも貯まってお得だ。

でもなぁ…。

 

利用可能な決済方法の中から選んでいるだけ。

でも、しかし、だけど、とはいえ。

なんとなく引っかかるというか、バイトして原材料とか調理場の清潔感とかを知ってしまうと客として店に行く機会は減ってしまうなぁ、みたいな。

手数料のことを知ってしまうと、なんとなくカード決済をするのを遠慮した方がいいような気がしないでもない。

 

それが、軽く背中を丸めて渡す感じ(イメージ通りの印象を与えることができていればいいのだが。店員さんからしたら、それこそ関係ないし、知ったこっちゃない)につながっていく。

特に個人経営のお店のときはある程度の金額まではカード決済を選べない(ネットショッピングや大手チェーン店で買い物をするときはさほど気にならないんだけどな…)。

 

財布の中には小銭で500円あるかないか。これでは足りない。日高屋に行きたいのにこれでは足りない。

気持ちはもう完全に日高屋にいる。入店をして、カウンター席に案内をされてしまっている。

離脱した片割れだけど、しっかり自分だ。責任を取らなくてはならない。やっぱり帰ります、の一言で片付けてはならない。すでにお冷やを提供されているのだ。

 

一番近くにあるATMを目指す。コンビニのATMの前には先客がいた。いた、というか、先を越された。僕の一歩前を歩いていたお姉さんが僕の一歩前を保ったままATMの前に立っている。

 

手袋を外し、トートバッグを荷台に置き、手帳型のスマホケースを開く。

もはや全人類の悪い癖、とりあえずスマホのチェック。連絡なんてそう頻繁に入るものでもないでしょうよ(多い人でも3日に1通とかですよね?)。後ろで順番待ちをしている人がいるんですけど!

 

メール(ん?LINE?)のチェックをしているのではなく、開いたケースの内側からキャッシュカードを取り出そうとしていたことに思い当たった時には後の祭り。

罵詈雑言を浴びせたのは脳内の出来事ではあるが、顔は完全にしかめっ面。眉間に刻まれたシワが深い深い。蹴り落とした岩が地面にあたる音はなかなか聞こえてこない。谷底の深さを理解して、後ずさりをしてしまう。吹き抜ける風の音が、谷底に住む獣のうめき声に聞こえてくる。

 

どうやら手帳型ケースの内側にはキャッシュカードが無かったらしい。スマホを置いてトートバッグの中を探し始める。

十分に距離を(パーソナルスペースにぐいっと踏み込む痴漢の距離とは正反対)とってなるべくじろじろ見ないように、なるべくプレッシャーをかけないように気をつけていた。

 

あ、やば…教室で友達と漫画を読んでいる時に背中で感じた担任教師の怒り。

今から、ちょうど今から宿だ…部屋でゲームをしていた時に背中に感じた母の苛立ち(手元にないはずの包丁が見えた、なんて人もちらほら)。

 

背中で気配と感情に触れた経験は誰もが持っている。責めているつもりはなかったけれど、古今東西ハラスメントがそうであるように、本人にとってそんなつもりがなかったとしても、相手にとってはそう受け取るに十分な圧だったのだ。

深く深く刻まれた眉間のシワが駄目を押したのだろう。

 

カードはおろか財布も見つけられないでいたお姉さんは、くるりと振り返りロングヘアーをなびかせる。パンテーン、ラックス、ツバキ。よくわからないオーガニックの輸入品。どれかしらの素敵なスメルを振りまいて(もしくは普通に香水)、荷物をまとめて先を譲ってくれた。

 

断って、全然急いでないので大丈夫ですよ、とかわすこともできたのだろうが、ついさっきまでの顔とその態度では辻と褄が合わない。

 

金額を入力し、確定ボタンを押す。出てきたのはキャッシュカードと明細のみ。あれ?現金は?と思って明細を見ると、暗証番号が違うとの表記。

 

だったらさ、いや、だったらさ、暗証番号が違ってたのがわかった時点で取り引き終了でカードを返却してくれたらいいじゃんか。なんで一旦泳がせて引き出し希望額を入力させたの?

 

今度のクリスマス、プレゼントに何が欲しいの?って金持ちに試された美女の感じ。自分のことを異性として魅力的だと感じているのか、ただのATMだと思っているのか試された感じ。

 

あんたはただのATMだよ!口座残高以上には引き出せないただのATMだよ!!引き出し限度額の少なさが憎い(自己責任)!!!

 

ものすごく悩んだ。ここは先を譲って並び直すのが筋だろう、と思った。くるりと振り返ってもなびくロングヘアーはないし、振りまくのはせいぜい柔軟剤の匂い(その奥にはおそらく加齢臭)だ。

だけど、と思う。すみません、ありがとうございました、ってちょいと頭を下げてATMを離れた僕がもう一回後ろに並んでいる状況。これを想像して躊躇する。

 

私が順番待ちをしているってわかっているでしょ?だったらもっと急いでよね。私さっき譲りましたよね?

もう、やっとどいてくれ…えっ、嘘?うそ、嘘ウソUSO。こわいこわいこわいこわい、怖い。なんでまた後ろに並ぶの?

 

震える指先で押した暗証番号は入力をミスしていて、お金を引き出せない。お姉さんは再び僕に順番を譲る。

こんなことになるくらいなら、連続取り引きのふりをしてもう一度カードを入れ直そう、と思った。それがお互いにとって一番マシな選択肢だろう、と。

 

キャッシュカードを再投入する。暗証番号の入力はゆっくり正確に、引き出し金額の入力は出来るだけ速く。

出てきたカードと明細、それから現金を手に取りATMの前を離れる。財布の中にしまうのは店を出てからだ。

 

すみません、ありがとうございました。

すれ違うとき、謝罪ともお礼ともつかない声をかけて頭を下げる。

 

会釈とは思えないほどに深く。

先ほどまで眉間に刻んでいたシワよりも深く深く。

 

自分の中でのイメージなので、実際にお姉さんからどう見えていたのかはわからないけど。