いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

ぐらんぐらんジェンガ

そういえば、車道側にはいつも彼がいる。

そういえば、今年に入ってからトイレットペーパーを一度も補充していない。

子供を見つめる目の優しさ。

鍛え上げた肉体。

社会的地位。

圧倒的経済力。

 

ふとした瞬間に理解するあの人の優しさや気遣い。ちょっとやそっとの不満なら吹き飛ばしてしまう強大な力。

決め手になるものは多種多様だ。

 

僕は小・中学生のときA君に憧れていた。

運動神経が良くて、明るくて、格好いい。憧れる要素全部のせ。

3つを備えている時点で十分に憧れの対象ではあったが、僕がA君を憧れる決め手になったのはこの3つではない。

字が綺麗だったからだ。

うっとりするほどの美文字。

顔面同様に端正そのものだった。

 

高校の時に書道の先生から「字はバランスだ」と教えられた。

画数が多いほどバランスは取りやすくなり、少ないほど取りづらくなる。

大学の時に見たテレビ番組で専門家が「美容師の腕は薄毛の人をカットする時にわかる」と言っていた。

毛髪が多いほどバランスは取りやすくなり、少ないほど取りづらくなる。

 

多いほどバランスが取りやすく、少ないほどバランスは取りづらい。

この世の真理はジェンガに宿っている。

 

A君と僕は仲が良かった。

休み時間や放課後を一緒に遊んで過ごしたし、修学旅行のグループは小学校も中学校も同じになった。

出席番号順やくじ引きで決まったわけではない。少年期に与えられる残酷な自由選択権「好きなもの同士」で同じ班になったのだ。

 

人気者のA君と同じ班になりたい人は大勢いた。その中で隣を勝ち取ったのが僕。

敗者たちの眼。「なんでお前が」の眼。

あの子でいいなら私でもいいじゃん。

吹石一恵には勝ち目がないけど、笹塚在住の会社員B子さんなら私でいいじゃん。ねぇ何で、何でなの?何でか教えてよ、雅治さん…。

並んだ姿に「最強のふたり」の雰囲気はない。A君の隣にいるのが僕では、敗者たちは諦めがつけられないのだ。

 

6月に感じた異変はある日確信に変わる。7月の体育の授業中だった。

修学旅行(4月)のあと、A君と僕が一緒にいる時間は少しずつ減少していった。

もともと常にべったりとくっついて過ごすような2人ではなかったけれど、気がつけば一緒にいるという感覚は持っていた。

 

気がついた時にはもう手遅れだったのだと思う。気がついてからはどうやって接したらいいのかわからなくなった。

普通に接することの「普通」が特別な態度になってしまった。

天然キャラが「天然」をやりにいった時に失われる輝きと生じる違和感。

普通に接しようとしてする僕の「普通」の態度は、かつての普通とは別のものになってしまっていた。

 

僕は右サイドからセンタリングをあげた。

ゴール前にいる相手ディフェンスの頭上を超えてボールはファーサイドへと向かっていく。そこに味方の選手が飛び込んでくる。A君だ。

ヘディングシュートはゴースポストに当たる。ボールは白線の外へと出ていった。

「ごめん!」とA君。

「どんまい。」と僕。

僕にとっては決定的な出来事だった。きっともう元には戻れないのだな、と思った。

 

夏休みを挟み、2学期と3学期。中学校生活最後の年はあっという間に過ぎ去っていった。

僕とA君が一緒に過ごす休み時間は一度も訪れなかった。一言二言の短い会話すらしていない。

連絡先の交換をしないまま卒業した。

大半のクラスメイトに書いてもらったのに、A君には卒業アルバムの寄せ書きをお願いすることが出来なかった。

 

何が原因だったのだろう。

僕自身にはまったく心当たりがない。

一方的にA君の前でどう振る舞えばいいのかわからなくなっていった。

わからないから接触を避け、接触を避けるからますますわからなくなる。

どうやって仲良くしていたっけ?

どうするのが普通なんだっけ?

隣にいることも冗談を言い合うこともできなくなくなるのは当然だった。

 

2人の間にあったジェンガは修学旅行以降、少しずつ安定を失っていった。

あの日「ごめん!」と言ったA君。

「どんまい!」とは返せなかった僕。

バランスを失ったジェンガが崩れ落ちた時、2人はもう、笑いあえる関係ではなくなっていた。