いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

冷たい道中

午前6時、夜型の生活を送っている身にとっても寝るには十分な時間。空腹を感じていたとしても、寝て起きてから食うのが体への気遣いというもの。

 

若気の至り。いつか自分の選択を冷静に振り返ったときに、この言葉を使うのだろうか?

朝の6時に牛丼を食べる食べるために出かけたことを、青春のように振り返って「あれが…」と懐かしむのだろうか?とっくに緩み切ったボディで、口元を少し緩めて。

 

着替えを済ませ、財布をポケットに入れて部屋を出る。スウェットの上下にダウンジャケットを羽織っただけの格好で出かけないのが、自分にとってのプライド。

 

これから仕事に向かう職人に混じって、しっかりと特盛りを注文する。

このあと歯を磨いて寝るだけの僕ではあるが、親を心配させないためにも食事をしっかりととる。「ちゃんと食べて、体に気をつけて。」と、いつも言われるのだ。

心配させないように頑張るところが、寝る前に食べる特盛りの牛丼ではないことを重々承知している。他に言いたいことがある(山ほど)のも。言わないでいてくれる優しさに、僕は甘えている。

 

牛丼を食べ終え、駅を通過した直後に声をかけられた。

この時期にしては随分と薄着のお婆さんだった。近所に来た救急車の様子を見に行く野次馬だとしても、その上に一枚羽織る(ダウンなりもんぺなり)だろうな、という格好。この時期の格好として成立させるには、暖房が効いた部屋であることが絶対条件だ。

 

「あの、すみません。」

ボリュームと距離のチューニングが不完全だ。

「あの、交番はどこですか?」

 

お婆さんは、家の場所がわからなくなってしまったので交番に行きたい、と言う。

交番は現在地から5分程度歩いた場所にある。今お婆さんが来た道をまっすぐ戻って行くと突き当たる交差点の左側にある。

 

この道をまっすぐ行ったところの信号のところにあります。信号の左。

説明をいる僕に手応えが全くない。お婆さんからの返事だけで判断をすれば、それじゃあお気をつけて、と帰ればいいのだが(すごく寒いし)、表情で判断をすればそうはいかない。

 

本当にダメな男が別れ話を切り出されたときに言う「ちゃんと働くから」。

夢を語るだけで曲を作らないバンドマンの言う「売れてお前に楽させてやるからさ」。

ずっとモテてきた女の言う「あなたみたいな人と付き合うの初めて」。

 

世の中には、言葉がただの記号の羅列でしかないことを十分に味わわせてくれる人たちがいる。言葉と意味との間に一切の関連性がない場合があるのだと、突きつけてくる。

 

お婆さんの返事は、明らかに関連性がなかった。わかった人の表情ではなかった。

「一緒に行きましょうか?」

自分の言葉に自分で驚く。言うだけ言って面倒臭いな、と思った(まあ、この辺は正直に)。

 

お婆さんと歩く。こちらから何を話しかけたらいいのかわからない。お婆さんの方から話しかけてくれた時だけ返事をしていた。

「〇〇駅に行ければ家までの道がわかるんだけどね。わかんないから交番で教えてもらおうと思って。」

そうだったんですね、と返事をしながら言うべきかどうかを迷う。交番に向かう方向は、その〇〇駅から遠ざかる方向だからだ。

 

今更駅に戻るのは面倒臭いな、と思った。お婆さんの言葉を聞いた場所からは交番の方が近い。外はすごく寒い。

〇〇駅は反対方向ですよ、と教えず交番に向かって歩き続ける。ふとあることを思い出し、自分の選択が間違ってはいないことに気がつく。

駅を通過した直後に声をかけられたのだ。

 

駅が丸見えのあの場所で、それが〇〇駅だと認識できていなかったお婆さんが、駅に戻った後にすんなり家に帰れるわけがない。駅に戻ったときに「こちらは何駅ですか?」と聞かれたらもっと面倒臭い。

 

歩調を合わせることを心がけて交番に向かうが、時々お婆さんとの距離が開いてしまう。気がつく度に速度を緩めて横並びになり、数秒後には少し前を歩いている自分に気がついて再び速度を緩める。

 

「寒いねぇ」

「本当寒いですよね」

お婆さんの言葉に返事をする。上着を貸すとか手袋を貸すとか一応は頭に思い浮かぶが、実行には至らない。交番までもう100メートルもないし、と言い訳をして同意するだけ。

 

交番の前の横断歩道を渡り始める。

歩行者用の信号が点滅すると走り出した。お婆さんのその姿を見て、なんともいえない気持ちになる。歩調を合わせてここまで来た手前、そこは少し急いで歩く程度に留めて貰いたかった。

 

ガムを噛んでいたお巡りさんは、ガムを噛んだまま対応をしてくれた。週末の早朝だし、眠気を覚ますためかもしれない。

ガムを噛んでいてもいいけど、対応するときもガムを噛んだままなんだ、と思った。ティッシュに包んで捨てるとかゴミ箱に捨てるとかしないんだ…と思った(全く責めてはいない)。

 

お婆さんから事情を聞いたお巡りさんに、あとは任せて!みたいなジェスチャーをされ、僕は帰路に着く。

随分と帰り道を遠回りすることになった。すごく寒い。手袋をしていても指先がかじかむ。

 

お婆さんは家に帰ることが出来ただろうか?

お婆さんは朝の出来事を覚えているだろうか?

 

すぐに早足になることや、手袋を貸そうとしないこと。僕の冷たさを含めて、存在丸ごと忘れてくれたらそれでいい。