いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

Fくんの正しさの、けどさ。

今日のところは店長に言われた通りに対応していく。

心の中では異議が飛び交っているが、「やることやって後はサボる」の基本姿勢を貫くために言われたことくらいは引き受ける。

重要なのは反発をしないことだ。その場では素直に返事をして、店長が帰った後に悪口を言うなり、バレない程度に手を抜くなりすればいい。

 

「ここはもっとこうした方が良いんじゃないですか?」

「これはこうやるようにこの間連絡ノートに書いてありましたよね?」

「こうした方がお客様にとって便利な環境になると思います。」

 

主体性を持って仕事に取り組むF君は厄介者として周囲に受け止められている。

いちアルバイトからの面倒な提案の数々に以前から職場に存在していた早番と遅番の溝が深まっていく。

うっかり落としたスマホが地面に当たる音が聞こえない。耳を澄ますと遠くの方で風の音が聞こえた…気がする。

「iPhoneを探す」の機能を使って位置情報を確かめると表示されたのはブラジル最大の都市、サンパウロ。

早番と遅番の溝は底が見えないどころか貫通をしていたのだ。

 

F君と僕は週に1〜2度遅番でシフトが一緒になる。暇な時間にお喋りをする程度には仲良くできているが、共通の話題はほとんどない。遅かれ早かれ行き着く先は客か店の悪口だ。

僕もF君も腹を立てるポイントは似ている。勢いよく捲し立てたあとに「俺はそれ平気だわ」と距離を置かれることは滅多にない。基本的には共有できている。

不平不満を共有をしているのに足並みが揃わないのには理由がある。僕には現状を変える意欲がないからだ。

 

F君が提案することのほとんどは正しい。

「こうした方が良いですよね」「俺、正しいこと言ってるだけですよね?」

ぐっとせり出してくるF君の圧力に押されていることは否定しないが、僕は基本的には同意を示す(提案の内容はもっともだし、そうすることでしか自分の身を守ることができないし)。

正しいのは自分の方なのに厄介者扱いをされてしまう。そのことについてF君は不満を感じている。

 

東京ではそれがオシャレなのかもしれないけどさ…。

それだけ緑でドロドロなら飲んだらすごく体に良いのかもしれないけどさ…。

3人紹介すれば初期費用の20万円がすぐに回収できるのかもしれないけどさ…。

 

F君の提案に常にまとわりつく「正しいんだけどさ…」というなんともいえない感じ。面倒くさいという感情はとりあえず脇に避けて考えてみても、早番の人達にF君の提案をすべて受け入れてもらうのはたぶん無理だ。

提案のすべてが「F君が気づいた瞬間のF君の立場から行われたもの」だからだ。

 

「トリックアート殺し」という言葉がふと頭に浮かんだ。トリックアートはこう見ると少女の顔に見えるけど、こうやって見たらおばあさんの顔に見えるよね、ってあれ。

F君は「描かれているのはおばあさんの顔」と言い続けている。「こう見ると少女の顔にみえない?」と言われても「いーや、これはどう見てもおばあさん」と頑なに譲らない。その絵の中に少女の存在を認めない。

 

F君の立っている場所からその絵を見れば、描かれているのは間違いなくおばあさんだ。

おばあさんに見えることが事実である限り、ちょっと場所を変えれば少女の顔に見えるという事実を受け入れない。

考えを改めさせるには、本当に申し訳ないけれどおばあさんにはお亡くなりになってもらうしかない。たぶん19で嫁いだあの日に捨てたはずの故郷に帰るだけでは不十分だ。

「確かにおばあさんにも少女にも見えるよね」と両者の存在を認めることはないだろう。それが出来るなら早番の人達から厄介者扱いをされていないように提案ができているはずだ。

 

自分は正しい、という絶対的な感覚。

自分は間違ってはいない、という懐疑の余地が残された感覚。

迷いなく自信を持って提案をするF君の感覚は前者だ。

「やることやって後はサボる」の基本姿勢でバイトに臨む僕は、後者の感覚を持ち合わせているだろうか。店長が遅番の日だけは暇な時間も動き回っているので、とりあえず自分のバイトスタンスについては疑いを持つことができているけれど。