いわにし日記

「いわにし」の取るに足らない日常や思いつき

不純物を含んでグーの色合いは。

小田原市民会館で行われたライブは座席指定だった。

ライブハウスの密集したイェイイェイウォウウォウが苦手な僕にとって、ライブへの参加はかなり久しぶりになる。

武道館公演の後は、大学を卒業した翌年の年末ワンマンに一度参加したきり。5〜6年振りの藍坊主(生坊主)だ。

 

指定の席に着いて開演を待つ。このまま座って鑑賞するのかと思っていた(市民会館だし)が、メンバーが舞台に姿を見せると、示し合わせたようにオールスタンディングになり、焦る(出遅れた)。

座っていた時には分からなかったが、目の前の席の人がでかい。前列の並びでこの人だけ明らかにでかい。

180cmくらいの大男に視界を遮られた僕は、隣の人のスペースを侵害しないよう気をつけながら、自分に与えられたスペースの中で一番見やすい角度を探す。いや、探す羽目になってしまった(座ってて気にならなくて、立ったらでかいってことは足長さんじゃないか!)。とはいえライブハウスの見上げる形に比べたらかなりの見やすさだ。

 

「スプーン」、「ホタル」、「星霜、誘う」。「コイントス」、「マザー」、「群青」。

うっとり、かっけー、うっとり、かっけー。

「うっとり」と「かっけー」のミルフィーユ状態。

MCからの「降車ボタンを押さなかったら」なんて泣きそうになった。

 

4曲目「スプーン」の時、僕はついに右手をあげた。

1、2曲目には恥ずかしくてできなかったが(手拍子は平気)、持ち前のノリの悪さを発揮し続けていると、どうしても周りとズレていく。ノリが悪い自分を冷めた自分が意識して居心地が悪くなる悪循環。

自分自身で作りだした状況がしんどかったので、3曲目を使って観察をした。どんな風に手をあげているのだろう。

前方の人たちの手は、様々な形を作っている。明確なルールはなさそうだ。

 

握りこぶしの人、親指と人差し指だけ伸ばしている人、全ての指を開いて伸ばしている人。

あとは、トレンチコートの気障な男が別れ際に見せる手の形の人もいた。こめかみからはじまる「チッス」とも「アディオス」ともつかないような指3本伸ばし(親指・人差し指・中指)。
じゃんけんみたいだ。
グー、チョキ(出川さんスタイル)、パー。

 

僕は拳を緩く握ってグーともパーともつかない形をつくった(じゃんけんだったら後で揉めるやつ)。形をはっきりとさせないことで逃げ道を残したのだ。

小田原までわざわざ足を運んで、目の前の藍坊主より僕があげた右手の形を気にする人などいないだろうけど(念のため)。

手をあげた後の方が居心地はよかった。

参加している感じが出てきて、自分の様子に自分が引っかかる状態からある程度抜け出すことができた。

ライブが一層楽しくなってくる。

 

歌声を聴いていて、思った。「高音が苦しそうだな。」声が抜けるというか飛ぶというか、設定した高さに届かないことが何度もあった。

大学生の時、ライブで「ジムノペディック」を聴いた。

「すごい!本当に歌えるんだ!」すごく感動したのを覚えている。

今でも歌えるのだろうか?

昨日はたまたま調子が悪かったのかもしれない。調子が良い日なら歌えるのかもしれない。

 

(昨日のライブでは)高音を出すとき、歌い方に力が込め直される。

出そうとして出していた。出そうとしないと出ないように見えた。

それでも出ない音はあった。

 

CDで聴いていたあの曲をCD通りに本人が演奏するのを見たい。その為に金を払って、時間を作って、足を運んでいる。

 

目の前の演奏はCD通りにいっていない。

高音がうまく出ていない。

 

その歌声を聴きながら「これからも聴き続けよう」と思った。

CD通りに歌えていたら改めてそう思うことはなかったかもしれない。

 

完全なものを見たかったはずなのに、不完全なものを前にして愛着がより一層強くなった。

不思議だ。

どんぐりの隠し方が下手なリスの方が可愛い、みたいなことだろうか?(なんか違うな)

ピュアインディゴより天然藍の方が深い色合いになる、みたいなことだろうか?(おっ!)

CDはピュアインディゴでライブは天然藍みたいなこと?(おっ!)

なんだかしっくりきた。

本人登場、生演奏、当日の出来、会場の空気、などなどなどなど。CDには含まれていなかった不確定要素の数々。

なるほど、ライブは天然藍だ。

不純物を含むことで色合いは深くなり、美しい藍色になる(うん、それっぽい)。

 

僕が会場であげた右手は、不純物を含んでいた。天然グーだ。パーを含むことで色合いは深くなり、美し…(なってない!)

これからもCDを買って、ライブに足を運んで(できれば今回みたいな座席の会場で)いきたい。